イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

¿"INRI" は「イナリ」?

INRI という文字をどこかで目にしたことありますか?

スペインで飽きるほど教会を訪れる中で、キリストの磔の像に必ず INRI という文字があることに気付きました。
INRIラテン語の "Iesvs Nazarenvs Rex Ivdaeorvm" という文の acrónimo です。
このままでは何がなんだか分からないですが、ラテン語IJVU なので、この文は "Jesus Nazarenus Rex Judaeorum" となります。
こうするとなんとなく見えてきますよね。この文はスペイン語では "Jesús de Nazareth, Rey de los judíos" で、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」を表します。

エス磔刑にされている十字架には必ず見られる文字です。

 

【きっかけ】

家の近くでこんな看板を見つけました ↓

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CRUCERO って書いてますが。。。

この場所は交差点なんですが、この看板には CRUCERO の文字が。
crucero って「クルーズ」じゃないの?「交差点」は cruce じゃないの。。。?

看板屋がミスった?
何が悲しいって、メキシコだから、間違えたけどそのまま CRUCE"RO" のままにしたのかなって思っちゃうことです(笑)

キリストが張り付けられたのは cruz、クルーズは crucero、交差点は cruce、、、
今回はこれらの「十字」に関連する単語の語源を調べていこうと思います。

 

【語源】

De Chile.net の DEEL から、まずは核となる cruz の語源から見ていきましょう。

ラテン語crux, crucis に由来
crux は二本の棒から成る絞首台や三本の棒から成る拷問器具である tripalium のような交差した棒からできたあらゆる拷問道具を指していた(CRUZ)

tripalium!聞き覚えのある響き!!
以前、trabajo という単語の語源について調べた時にも出てきました!!!

sawata3.hatenablog.com

まさか、こんなオソロシイ単語を再び目にするなんて。。。
続けて、次のようにありました ↓

セネカキケロホラティウスなどのローマの作家によると、cruz という単語は初め「木や鎧、または犯罪者を拷問したり、串刺しの刑や絞首刑に処するための木製の器具」を意味していた
後に、現在と同様の「十字」という意味を表すようになったが、広義で「害悪、悲惨、破滅、犠牲、苦悶」などの意味も持った
そのため、不幸や苦悩に耐えなければならない際に "cargar con la cruz" という表現が生まれた(CRUZ)

「拷問・処刑器具」というコワイ意味から色んなネガティヴな意味を表すようになり、"cargar con la cruz"、つまり「十字架を背負う」という表現につながったんですね。
十字架と言えばやはりイエスキリスト教を思い浮かべますが、cruz という単語自体の語源に関しては宗教的な要素はないようです。ただ、「十字架を背負う」という表現はおそらくキリスト教に由来するはずなので、広義のネガティヴな意味の方は宗教の影響を受けて生まれたのではないかと推測します。


さて、ここからは cruz から派生した単語を見ていきます。
まずは cruce から、、、と思いましたが残念ながら記述ナシ。。。
また crucero のページはありましたが特筆すべき記述はナシ。。。
というわけで、これら二つの語源に関しては言及ナシです :'(

冒頭で述べた「交差点」を表していた crucero を DRAE で引いてみると ↓

1. m. encrucijada (‖ lugar donde se cruzan calles o caminos).(crucero)

なんと一番目の意味として「交差点」が記載されていました!
ちなみに、白水社現代スペイン語辞典改訂版には crucero にこの意味は載ってなく、小学館西和中辞典[第2版]の方には

6 交差点,十字路
11 〘ラ米〙(メキシコ)十字路;踏切(crucero)

とありました。
また、WordReference の辞書にも

crucero nm  MX (intersección de caminos)  crossing, intersection, crossroads

MX(=メキシコ)の文字が。
DRAE にはどこの国・地域で使用されているかの記述はありませんでしたが、他二つの辞書内でメキシコでの使用が見られるとあります。
「メキシコでは crucero とも言うんや」と思いながらメキシコ人の友だちに話を聞くと、やっぱり「交差点」は cruce であり、crucero は「クルーズ」とのことでした。

ナンヤネン。
少なくとも、この友だちにとっては crucero は交差点ではないとのことでした。
もしかしたら、メキシコ国内でも地域によって使用している場合もあるかもしれないので、引き続きこの調査をしていきます。


さて、次の単語は「人生の岐路」を意味する単語 encrucijada について。

ラテン語起源のこの単語は「二つ以上の道が交差する場所」を意味し、比喩的に「容易な解決口が見えない困難で複雑な状況」を表す
接頭辞 in- (en-) + crux, crucis (cruz) + 接尾辞 -ata (-ada, t の音の有声音化‹1›)
ラテン語には -culus, -cula, culum で終わる縮小辞があり、encrucijadacrucicula という形であった
-cul- の u は多くの場合消失し、残った音 -cl- は口蓋音化‹2›によって -j- という音に変化した
つまり、cruciculacrucija となった
例)apícula>abeja; aurícula>oreja; óculo>ojo(ENCRUCIJADA)

‹1› 有声音化 (sonorización) ... 日本語でいうところの濁点を付ける行為に当たり、この場合だと無声音の「た /ta/」に点々を付けて有声音「だ /da/」の音にすることを指す。
‹2› 口蓋音化 (palatalización) ... 口腔内での調音点が硬口蓋へ移動すること。

発音の変遷は

crucicula → crucicla → crucija

なんですね。-cul- が -j- に変化するなんて誰が想像できたでしょうか。
どのタイミングでこの単語に接頭辞 en- と接尾辞 -ada が付いたのかについては明記されていませんが、cruciculaencrucijada という発音に置き換わった歴史を知ることができました。

この単語は「十字路 (✛)」というよりも「二手に分かれた道 (丫)」といった方が適しているかもしれませんが、この単語もまた cruz から来ていますね。「人生の岐路」の他に「ジレンマ」や「交差点」という意味もあります。


次は日本語でも「十字」が入っている「十字軍」という単語 cruzada

キリスト教徒による聖地奪還のための遠征軍「十字軍」を表す cruzada は、その兵士たちの胸に十字のエンブレムがあったため cruz という単語から来ている(CRUZADA)

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https://academiaplay.es/dios-lo-quiere-esquema-general-cruzadas/

この十字軍遠征とは、「キリスト教vsイスラム教」という宗教的対立という構図の下での出来事なので、十字軍側はキリスト教の象徴である十字(架)を胸に戦っていたんですね。

DEEL にはこの単語の文法的構造についての説明はありませんでしたが、単純に考えて "cruz + -ada" という風に分解できますよね。この接尾辞 -ada は先に見た encrucijada にも含まれていますが、cruzada 内で意味しているのは、

[名詞+. 集合名詞化] torada 牛の群れ(-ada 白水社現代スペイン語辞典)

動作、行為、大量、内容物、打撃、期間、集合などの意を表す女性名詞語尾 → bajada, cucharada, manada, pedrada(-ada 小学館西和中辞典)

すなわち、集合している状態を表すようです。端的に言ってしまうと「十字がいっぱい」ということになりますね。cruz を背負った兵士が大勢いる状態をそのまま表した単語だったということです。


お次は、よく見たら cruz が入っている単語 crucial の語源です。

decisivo という意味を持つこの単語は英語の形容詞 crucial に由来する
John Herschel の著書 A preliminary discourse on the study of natural philosophy (1831) 内にて crucial instance という文言が見られたが、これは Francis Bacon の著書 Novum Organum (1620) 内の instantia crucis というラテン語の文言の翻訳であった
字義通りには「十字の実験 (experimento de la cruz)」を意味し、ある科学的現象に関してもっともらしい二つの仮説がある場合に、その内の一説を否定し、もう一方の説を結論として至らすことができる実験のことを指す
この anglolatinismo‹3› はスペイン語や他のヨーロッパ言語においては比較的新しい単語であり、RAE は1956年の第18版の DRAE に至るまでこの単語を辞書に記載していなかった(CRUCIAL)

‹3› anglolatinismo ... 頑張って調べたんですが、日本語はおろかスペイン語ですら説明されている文献を見つけることができませんでした。。。Googleでフレーズ検索をしてみたものの、ヒット件数は609件(2019/12/08現在)のみで、ほとんど使用されていない言葉のようです。
ぼく個人的の解釈に過ぎませんが、その字義からこの単語は英語 (anglo-) とラテン語 (latin-) を経た単語、もっと言えば、ラテン語起源で他のロマンス諸語を経由せずに直接英語に取り入れられた(そして、その後ロマンス諸語へ入った)単語のことを指すものと考えます。

この crucial という単語は英語が由来という珍しいパターンでした。
辞書にも「運命を分ける」や una batalla crucial で「天下分け目の戦い」とあり、二つもしくはそれ以上の道(=選択肢)がある encrucijada を前にして決定を下すということから、「重要な」という意味も表すに至ったんでしょう。


最後に、今回の記事を書くにあたって cruz について友人に話をしていると、おもしろい動詞を教えてくれました。
なんでも、「十字を切る」 (=hacer la señal de la cruz) という行為を一単語で表す動詞があるそうです。
とりあえず、まずは語源から見てみます。

「十字を切る」を意味するラテン語persignare に由来
接頭辞 per- (por completo) + signus (signo) + 動詞の接尾辞 -are(PERSIGNAR)

辞書を引いても signo という単語に「十字」という意味はありませんでした。
ただ、「動作」を意味する signo が含まれているこの persignar という単語が「十字を切る」という意味を持つということは、この単語が生まれた当時(いつ頃かは不明ですが)、「動作」といえば「十字を切る動作」と理解されるほどキリスト教の影響が多大だったんじゃないでしょうか。

ちなみに、この動詞を教えてくれた友人はぼくに「persinar という動詞があるよ」と言いました。
そう、g が抜けていたのです!
もちろん、persinar で調べても辞書には出てきません。「辞書には persignar なら載ってるよ」と言うと "PersiGnar? Con la g?? En serio?" と言って驚いてました。

エ、ドユコト?
話を聞くと、今まで人生で persinar しか聞いたことなく、g ありの persignar は変に聞こえるとのことでした。
なにか情報がないかと思って Diccionario panhispánico de dudas を見てみると、、、

ラテン語persignare に由来するため、presignar(se) という形は間違いである
また、[persinár(se)]という俗な発音は避けなければならない(persignar(se).)

こういう類の記述があるということは、それだけ persinar という言い方が広まっているということですよね。実際に、上のメキシコ人の友だちも g なしの persinar だと思って今まで生きてきたそうなので、事実と言えると思います。

もうひとつ教えてくれたのは、santiguar(se) という動詞もまた「十字を切る」を意味するそうで、厳密には persignar と何らかの違いが存在するらしいのですが、「覚えてない」ということでした。ぼくも別にキリスト教徒でもなければ、十字を切ることもないので、その違いについては言及しないです :)


余談ですが、 cruz を含む表現で "con los brazos en cruz" というものがあります。この表現を聞いて、どういう状態をイメージしますか?
ウルトラマンスペシウム光線を放つ時みたいな「腕を十字の形にする」ポーズ?類似した表現 "con los brazos cruzados"のように「腕を組んだ状態」でしょうか?

実は、答えは真逆の「腕を広げた状態」を表します。というのも、「十字架に張り付けにされた」時のように腕を広げている様子からこの意味を表すようです。
なんともヤヤコシイ言い方ですが、そもそも cruz の語源となる単語が磔にして拷問・処刑する道具であることを踏まえると納得いきます。

 

【まとめ】

「日本の『稲荷』神は INRI から来た」という非常に興味深い都市伝説があります。

稲荷神社では狐が祀られていますが、日本書紀日本武尊ヤマトタケルノミコト)を白狐が助ける話があるなど日本では古来より狐は神聖視されてきました。しかし、実は「稲荷神」とは穀物の神の総称であり、本来狐とは関係がないというのです。
「稲荷」という漢字は後世に付けられた当て字であり、元は万葉仮名で「伊奈利」と書かれており、この万葉仮名というのは現代のカタカナのように外来語を表すために用いられていたそうです。つまり、「インリ」というのは古代の外来語であったということです。

そして、この稲荷神社を作ったと言われているのが「秦氏(はたうじ)」。ルーツ不明の渡来人であり、一説にはユダヤ教を色濃く残す景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)だったと言われています。
そうなると、稲荷神社もキリストを祀ったという可能性もなくはないですよね?「八百万の神」というように日本の神道多神教のはずですが、稲荷神社の祝詞の中に「神という存在はひとつだけである」というキリスト教的文言が見られることからもその可能性が窺えるのです。

そして、なんと江戸時代の随筆に、日本三古碑のひとつである711年建立の多胡碑(たごひ)で十字架が見つかり、そこには JNRI という文字が書かれていたとあるそうです。(ちなみに、日本にキリスト教が伝来したのが1549年。)この多胡とは群馬のある地名で、「胡」は異国人を指し、「多胡」とは渡来人が多く住んでいた場所を意味します。つまり、大陸からキリスト教を持ち込んだ人々がイエス・キリストを祀るために JNRI という文字が入った十字架を作ったのではないかというのです。

また、平安時代の書物の中には十字架を「はたもの」と表現していたものがあるそうです。キリスト教が伝来する前の当時の日本には十字架を表す言葉がなかったため、「機物(はたもの)」という文字を充てていたそうですが、これは「秦(氏)の物」という風に解釈できます。さらには「機物(はたもの)」で辞書を引くと「磔(はりつけ)用の刑具」という十字架を連想させる意味を持っています。

これらのことから、稲荷神のイナリとはキリストを指す INRI に由来し、稲荷信仰は元を辿ればキリスト教だったんじゃないか?という説です。
もちろん、信じるか信じないかはあなた次第ですヨ :)


先週、買い物に行ったスーパーの隣で見つけたお店がこちら ↓

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¿INRI? o ¿INARI?

INRI でしょうか?INARI でしょうか?
気になって今日も眠れません。。。