イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

Abrimos la boca.

大学時代、中南米文化に関する授業の中で、主にボリビアとペルー辺りのアイマラ族が話している「アイマラ語」についてプレゼンをしたことがあります。この、いわゆる先住民言語について調べる中ですごく興味深い新たな"言語学的概念"を知りました。
それは「四人称」という聞きなじみのない人称。通常、話し手(私)の立場が一人称、聞き手(あなた)が二人称、そしてそれ以外(彼、彼女、あれ等)が三人称ですよね。この人称体系は日本語、英語、スペイン語そしてアラビア語など系統の違う言語間でも共通しており、この分け方は普遍的なものだと思っていましたし、これ以上人称を区別しようがないように思えます。一体、この「四人称」とはどの立場の人を指すのか想像できますか?

答えは一人称複数形。

いや、一人称やんけ!とぼくも初め思いましたが、実はそもそもこの「四人称」とはその言語によって定義が異なるものなんだそう。なんとも茫洋とした人称ですよね。。。
ただ、同じ「私たち」と言っても二種類の捉え方ができます。それは聞き手の「あなた」が含まれる場合と含まれない場合の二パターンです。

例えば、少年漫画で主人公が「俺たち仲間だろ」と言われた相手、つまり聞き手はこの主人公が言った「俺たち」に含まれています。一方で、宇宙人が地球にやって来て「ワレワレハ宇宙人ダ」と言った際の「ワレワレ」には聞き手である地球人のことはもちろん含まれていませんよね。
このように、聞き手も含んだ上での「私たち」なのかどうかは基本的には文脈から分かりますが、日本語やスペイン語だとたまに曖昧な時もあります。ところが、ことアイマラ語ではこの二種類の一人称複数を別々の代名詞を使って区別するんだとか。そして、アイマラ語における四人称 (cuarta persona) とは、前者の「聞き手を含む一人称複数」のことを指します。
調べてみると、中国語やベトナム語などでも同じように代名詞が使い分けられているようで、日本語では前者を包括形、後者を除外形という風に呼ぶんだそう。どうやら他にもこの二つの使い分けをしている言語はあり、特段珍しい概念というわけではないようです。
アイマラ語という聞いたこともなかった言語を通して、日本語には存在しないおもしろい言語学知識を得ました :)

 

【きっかけ】

スペイン語を学んできた中で、なんでその人称が選ばれるのかずっと不思議に思っている表現がいくつかあります。
一つは挨拶の際にたまに言われる ¿Cómo estamos? という言い方。形式的な挨拶とはいえ、相手の状態を聞いているわけなので ¿Cómo estás? や複数人なら ¿Cómo estáis? のはずですが、なぜか一人称複数形で活用した estamos が使われることがありますよね。
また、何かを説明したり、指示を出したりした後に「分かった?」という意味で言う ¿Estamos? もなぜか一人称複数形。そもそも ¿Estamos? だけでなんでそのような意味になるのでしょうか?
さらに、不快なことが再び起きてうんざりした際に言う「また始まったよ...」はスペイン語で何と言うか聞いたことありますか?スペイン語では Ya estamos otra vez... や Ya empezamos otra vez... のようにここでも一人称複数形が現れるのです。
スペイン語一年生でも知っているようなこれらの表現に関して、なぜ一人称複数形が選択されるのかずっと不思議に思ったままもう6年が経っちゃいます。。。

そんな疑問を頭の片隅に抱いたまま生活していると、自分では思いつかないような新たな一人称複数形の使用例に出会いました。先日歯医者に行った際、先生が「口を開けてください」と言う時に "Abre la boca" や "¿Puedes abrir (la boca)?" と言ったりする中で "Abrimos (la boca)" と言ったのです。ぼくが先生の立場で同じ状況だったとしても、ここで一人称複数形にするという発想は持ち合わせてないので、このように言われた瞬間に違和感を覚えました。
というわけで、今回はなんだか奥が深そうな「一人称複数」という人称について迫っていきます。

 

【考察】

Nueva gramática を駆け巡っていると「人称代名詞の性と数 (Género y número en los pronombres personales)」が主題の章§16.2に辿り着きました。そしてこの章の中に、表される対象(=主語)の数に一致しない一人称複数の用法が4つ載っていました!その中で今回の疑問に対する解と考えられる説明は次の項にありました ↓

言及対象に聞き手が含まれる場合の代名詞 nosotros / nosotras ー加えてその無強勢代名詞 nos 、またはその人称に動詞活用されて表される内容ー の解釈は、しばしば敬意もしくは愛情という理由から PLURAL SOCIATIVO または ASOCIATIVO と呼ばれることがある
この複数形の使用は(¿Qué tal está usted? または ¿Qué tal estás? という意味で用いられる)¿Qué tal estamos? という文のように、実際は発話者自身はその一人称が示す言及対象に含まれていない場合において特に頻繁に見られる
また(A ver si te fijas, A ver si se fija usted という意味での)A ver si nos fijamos や(... que vas mejorando, ... que va usted mejorando という意味での)Ya veo que vamos mejorando などの類似した表現でも見られる(§16.2r)

本来は ¿Cómo estás? のように自分(=話し手)を含む必要がない文において敢えて自分も含んだ上で ¿Cómo estamos? のように一人称複数形を用いる際には「敬意もしくは愛情」の意を含んでいると解釈できるんですね。確かに言われてみると、本来入れなくてもいい自分をわざわざ入れるということは、聞き手側との心理的距離を縮めることにもなり、ということはそこに相手に対する敬意なり愛情なりが内在していると捉えることが可能に思えます。

以下に、この項に記載されている例文を日本語訳とともに記します ↓

Si llamaba a la abuela y le pedía permiso para apartar las mantas, ella asomaba la cabeza por detrás de la puerta y preguntaba ¿qué tal seguimos?, ¿no conseguimos dormir? (Martínez Pisón, Ternura)
祖母を呼んで毛布を取ってもいいか尋ねると、祖母は扉の後ろから顔を覗かせていつもこう言った。「どう?まだ寝れないの?」(§16.2r)

ーY con el inglés, ¿cómo vamos? ーBien, ya me sé el verbo to be y el to do (Pavlovsky, Laforgue)
ーそれで英語の調子はどう?ー順調だよ、動詞の to be と to do はもう理解したよ。(§16.2r)

ー¿Las bragas? ーHe dicho una prenda íntima, Sánchez. A ver si cuidamos ese lenguaje, que te pierde (Mundo [Esp.] 8/8/1996)
ーパンティ?ー私は下着のこと言っているの、サンチェス。言葉遣いには気を付けましょうね。(§16.2r)

Seré todo lo que quieras menos una cochina, ¿estamos? (Moreno-Durán, Diana)
豚以外なら君が望むもの何にでも私はなるわ、いい?(§16.2r)

一つ目の例文 "¿no conseguimos dormir?" と三つ目の例文 "A ver si cuidamos ese lenguaje" なんかは大人が子どもに対して親心から来る優しさや愛情を込めて言っているセリフと考えると plural sociativo が現れる理由である「愛情」に当てはまり、ここで一人称複数が選択されてる理由が分かります。

よくよく考えてみると日本語でも同じことが起こっているのではないでしょうか?
例えば、幼い子どもに対してお母さんが「歯磨きしましょうね (Vamos a lavarnos los dientes)」と言う場合。この一人称複数と取れるセリフは、お母さんが子どもの歯を磨いてあげる、もしくは一緒に歯磨きするという風にも捉えられますが、単純に子どもに対して歯磨きをするように言う場面で言ってもおかしくない言い方です。つまり、母親自身はここでは歯磨きはせず子どもだけが歯磨きをする場面ではあるものの、「歯磨きしましょうね」という一人称複数の言い方をすることがあります。同様に、歯医者の先生が「口を開けてください」の代わりに小さい子どもに「お口を開けましょう」という風に言うのも同じですね。
そう聞くと、歯医者で "Abrimos" と言われたぼくは先生に幼い子どもだと思われていたということでしょうか。。。?しかし、隣で治療していたパリっとスーツのビジネスマンにも "Abrimos la boca" と先生が言っていたので、スペイン語ではそこまで「子どもに対する話し方」というわけではなさそうです。
改めて考えてみると日本語でも、大人であっても例えばお医者さんに「この薬を飲んでいきましょう」のように一人称複数って普通に使われていますね。日本語だと普段は人称を意識しないので見逃しがちですが、今回この plural sociativo という概念を知った上で思い返してみると日本語にも実際の数とは異なる一人称複数が結構あふれているような気がしてきました。

そして、以下のような場面で現れる一人称複数形もこの plural sociativo と見なされているようで、、、

話し手が自分自身に対して話しかける際にも動詞の一人称複数形が用いられる
このように使用される場合は架空の対話者が作り出されることで一人称複数形の使用が正当化される: Tranquilo, Pepe, no perdamos la calma
Vamos a olvidarlo, me dije, y sigue con lo de la iglesia como si nada hubiera ocurrido. Así lo hice (Sánchez, H., roe)(§16.2s)

自分自身に話しかけたり、命令したりする際にも一人称複数形が使われたりするんですね。これを聞いてあることを思い出しました。
スペイン語一年生の時に動詞の命令形は命令する相手の人称によって形が異なると習い、教科書には二人称単数 , usted にはこの形、二人称複数 vosotros/as, ustedes にはこの形というように人称と数によって対応する命令形が載っていました。そんな中、トイストーリーのウッディがピンチの際に自分に対して "Think! Think!" と言っているシーンを見た際に、自分に対して命令する時はスペイン語ではどの形を使うんだろうという疑問が。どの命令形も「二人称」に対する命令形と書かれていますが、自分自身すなわち一人称単数に対する命令はどうすればいいんだろうと思い、先生に聞きに行きました。
答えは言わずもがな「二人称単数」。つまり、自分に対して命令している「考えろ!考えろ!」はそのまま "¡Piensa! ¡Piensa!" になります。今思えばこんなこと考えるまでもないですが、スペイン語を学び始めてすぐで「人称・数・性に常に一致」という鉄の掟を叩き込まれたあの時のぼくには「自分(=一人称単数)に命令≠二人称単数命令形」なのではと疑問に思ってしまいました。

そんな自分自身に対する命令ですが、引用内の例文のように一人称複数を使うこともあるんですね。ぺぺが自分に言っている "Tranquilo, Pepe, no perdamos la calma"「落ち着け、ペペ、平常心を失うな」は "No pierdas la calma" でもいいものの、ここでは plural sociativo が用いられて "no perdamos la calma" という言い方になっています。
もう一つの例文は日本語に訳すと「そのことは忘れてしまおう。私は自分にそう言うと、何もなかったかのように教会の件を進めた」といった感じでしょうか。"Vamos a olvidarlo" と一人称複数で言っていますがこちらも他者を含んでいるわけではなく、直後に "me dije" とあるように、自分自身に話しかける際に使われる複数形 plural sociativo であることが分かります。

余談になりますが、、、
サッカー選手の本田圭佑ACミランに移籍を決めた際に、記者になぜそのチームに決めたのか問われて発した「自分の心の中にいるリトルホンダに尋ねました。どこでプレーしたいかのかと。彼は答えました。『ミランだと』それが理由です。」という名(迷?)回答を覚えているでしょうか?今回学んだ plural sociativo はここにも表れるんじゃないかと思います。
それは「どこでプレーしたいかのかと」という部分。本田からリトルホンダに「どのクラブでプレーしたいのか」と尋ねているので主語は二人称のリトルホンダで "¿En qué club quieres jugar?" でもいいかと思います。しかし、本田とリトルホンダは一心同体(てか本人そのもの)なのでここではリトルホンダに聞きつつも本田自身も含めて "¿En qué club queremos jugar?" のように一人称複数、つまり plural sociativo を用いることも可能ではないでしょうか?
本田は奇を衒った発言をしていますが結局は自問自答しただけ。ということは plural sociativo を適用できるので、ぼくがこのセリフを通訳または翻訳するのであれば敢えて一人称複数を使おうと思います ;)


さてさて、せっかくなので今回読破した§16.2から、残り三つの単数を表す一人称複数形の用法も学んでおきます。まずはこちら ↓

PLURAL DE MODESTIA の用法では話し手が自身の文章または作品の中で自分自身に言及する際に用いられるため、PLURAL DE AUTOR としても知られている
この用法では人称代名詞の nosotros (Lo que nosotros sostenemos en este libro es...) や無強勢代名詞 nos を用い、動詞の活用は一人称複数形、そして所有詞も一人称複数の形を取る(§16.2ñ)

この用法は高校の時に英語の授業で editorial we として習いました。
例えば、Nueva gramática によく出てくる「前項で見た通り」という文言は -おそらく客観性を保ちたいのか- "Como se ha visto en el apartado precedente" のように非人称で書かれています。しかし、読者もまたその前項を見ているはずなので、筆者と読者をひっくるめて "Como hemos visto..." とすることも可能ですよね。筆者 (autor) だけでなく読者も含めて複数形にするということで plural de autor というわけですね。

続いて ↓

plural mayestáticoplural de modestia の用法においては、ともに文法上は複数形でありながら単一人の人間を示すため、人称と(実際の)数が一致しない
PLURAL MAYESTÁTICO は代名詞 nos を主語と前置詞格目的語として使用していた古い用法の名残である
伝統的に文書での使用が特徴的であったものの、教会または民間の高官の演説でも使用されていた
同様に一人称複数の所有詞 nuestros, nuestras の使用も見られる(§16.2n)

こちらからも ↓

PLURAL MAYESTÁTICO は文法的に整合性がない
教皇が自身を複数形で表す場合 (A Nos ha llegado la inquietud de...) や、誰かが王やその他の権威ある者に複数形と用いて発言したりする場合 (Os recibimos...) のように単一人を指すにもかかわらず複数形の人称と動詞活用を採るためである(3.8w)

王様や高い権威を持つ人は自分一人を指す際にも複数形を使っていたんですね。この plural mayestático を知らずに王様の発言を聞くと、王様単体を指していたとしても、王様と他の人を含んだ複数の人間を指しているのかと勘違いしてしまいますね。

最後は言及するまでもないですが一応 ↓

一人称複数の人称代名詞はその言及対象がより広範囲に及ぶ用法を認めている
人称代名詞の nosotros はその言及対象の中にコミュニティ・大陸・文明・惑星やその他の考えられる限りの集団のすべての構成員を含めることができる
この用法と全く同じというわけではないが近い用法を GENÉRICOS と呼び、「いかなる人、一般の人」に近い意味で一人称の人称代名詞または動詞の活用が用いられる: Lo que tenemos que hacer si la policía nos detiene en la carretera es...
一人称複数形の動詞活用はしばしば再帰受け身文または無人称文で表される意味と類似した意味を表す: En esta figura vemos que...('se ve' という意味)、cuando paseamos por la playa en una tarde de verano('cuando uno pasea' という意味)(§16.2t)

これは一般論を話す時などに用いられる二人称単数の と同じですね。


さて。
一人称複数の特殊な用法を学びましたが、やはり日本語での言い方が分からないと格好がつかないです。しかし、もちろん西和辞書にここまでの文法用語が記載されているはずもなく、ネットで調べても出てこない。半ば諦め気味にネットで一人称複数に関して探してみると値千金の次の論文を見つけました ↓

題 : 英語の人称世界
著者 : 松山幹秀(文学科助教授)
雑誌名 : 東西南北
巻 : 1993
ページ : 48-61
発行年 : 1993
出版社 : 和光大学総合文化研究所

タイトルにある通り、これはスペイン語ではなく英語における人称の話なのですが、Nueva gramática と共通する内容である上に、日本語での用法名が記されているので引用・参考させていただきます。
この論文の中では「複数形の単一人指示用法」すなわち一人称単数の I の代わりに一人称複数の we を用いるケースが三つ紹介されています。まずは

君主などが公式の場で自分を指すのに単数形Iに代えて祖数形‹1›weを使う、「君主のwe」(Royal‘we')

‹1› 祖数形 ... 原文ママ。ネットで調べても出てこないので、おそらく「複」数形のタイプミスだと思います。

この用法は§16.2nで説明されている plural mayéstático に当たりますね。
二つ目の用法は

新聞・雑誌の編集者や演説者・講演者が、自己を強く打ち出すことを避けるため、あるいは読者、聴者との一体感を表すためにweを用いる、「主筆we」(Editorial‘we')

これは§16.2ñ に出てきた plural de modestia、またの名を plural de autor のことですね。なるほど!「自己を強く打ち出すことを避ける」という部分から modestia「謙遜」と呼ばれている理由が分かります。
三つ目は

親・先生・医者などが子供・生徒・患者・老人に対して共感の気持ちを表すためにyouに代えてweを用いる「親心のwe」(Paternal‘we')

これが今回の疑問の答えと思われる用法 sociativo、またの名を asociativo に相当しますね。

著者の松山先生はこれら三つの用法大きく二つに分けられています ↓

これらを意味的に分類すれば、「君主のwe」と「主筆we」の前の用法は「謙遜の複数」、「親心のwe」と「主筆we」の後の用法は「共感の複数」ということになります。しかし前者の「謙遜の複数」は、かえってを隠れ蓑とした言語的倣慢さを相手に与えることから、だんだん用いられなくなっていく傾向があるようです。それに対して、「共感のwe」のほうは常に聞き手を含意・包摂し、仲間意識や親密感を高める作用があるのでだんだん広く用いられていくようです。

なるほど、スペイン語plural sociativo は日本語にどう訳すか頭を悩ませるところでしたが、松山先生が用いられている「共感の複数」という語がピッタリはまる気がします。

 

【結論】

● "¿Cómo estamos?" のように、単一人の聞き手 () に対して話し手自身 (yo) も含めて一人称複数形を用いる用法を「共感の複数 (plural sociativo)」と呼び、相手に対する敬意や愛情を暗に示したり、仲間意識や親密感を高めたりする作用を持つ。

● 実際の人称とは異なる場面で用いられる複数形の用法は以下の四つ。
 - plural mayéstático ... 君主の複数
 - plural de modestia / de autor ... 主筆の複数
 - plural sociativo / asociativo ... 共感の複数
 - plural genérico ... 一般論の複数


今回明らかになった「共感の複数」は聞き手も含めるという点でアイマラ語に存在する「四人称」すなわち包括的一人称複数に当たりますね。

ところで、ぼくは現在通訳として働いているのですが、通訳は自分の感情を入れずに言われた内容を訳すというのが大前提。しかし、たまに日本人側が明らかに理不尽にメキシコ人を怒る時があり、しかもそのメキシコ人が自分の仲の良い人の時は通訳するのが本当にツライ。。。
なので、そういった状況で例えば日本人が「お前が...しろ」と言うと、ぼくは "Tú debes hacer..." とか "Tú haz..." のように「その人」を主語にするのではなく、心の中で「オレはあなたは悪くないと思うよ」と思いながら、"Hay que hacer..." とか "Tenemos que hacer..." と言っています。これは半分意識的に、でも半分は本当に無意識的に今までやって来たのですが、今回学んだことを踏まえると、ぼくは主語の範囲を広げることでその理不尽に怒られている人ピンポイントに対してではなく、一般論を言っているのだと伝えようとした結果だと考えられます。これもまた plural sociativo に当たるのではないでしょうか?ただ、この場合は共感の複数というよりは同情の複数といった感じでしょうか?

何で複数形を使うんだろうと疑問に感じていた表現がいくつもありましたが、そんなぼく自身が気付かない内に本来は複数形ではない場面で複数形を使っていました。心理的な影響が主語の選択を左右するという良い例に出会えました。
ただ、中には通訳者を機械のように扱うけしからん奴もいるので、そういう奴らに対してはもちろん同情の余地なんてないので、自分の感情を込めて "¡TÚ HAZ...!" のようにピンポイントで「お前!」と訳してます(笑)