イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

verbo defectivo とは?

6年使ってきた電子辞書が今年の5月に壊レタ。。。

辞書がないとこのブログを書く時に必ずぶち当たるスペイン語の文法用語の日本語訳を手に入れられないという問題があります。ブログを書くにあたってその日本語訳は必須。ネットでスペイン語で調べたらその定義などは見つかりますが、日本語訳まで見つかることは多くはないのです。一般言語学的な内容ならネットでも対応する日本語訳が見つかりますが、スペイン語学特有の文法用語だとネットでも日本語訳には辿り着かないので西和辞書がなければ何もできないのです。。。

メキシコで途方に暮れていると、日本にいる友人がなんと小学館の西和中辞典の紙辞書をメキシコまで送ってくれるという神対応!ほんとに感謝感激雨あられです :)

 

【きっかけ】

スペイン語一年生の頃、電子辞書で動詞を検索するたびに動詞の活用表を開いては直説法現在形から接続法過去形までの活用形を覚えていました。そんな中、どこかで知った abolir という動詞を辞書で引いて「廃止する」という意味を知り、いつものごとく活用表を確認したところ、なぜかそこには空白がいくつも。。。
例えば、直説法現在の活用表はこんな感じになっていました ↓

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動詞 abolir の活用表(直説法現在)

なんでこの動詞の活用表には一人称複数と二人称複数の活用形しか載ってないのかと疑問に思ったものの、この動詞を使うことはなかったので困ることもなくそのままにしていました。そして月日は流れてあれから6年。ある日ふと思い出して RAEDiccionario panhispánico de dudas で検索してみるとこの動詞のページがあるではありませんか。そして、そこには初めて聞く VERBO DEFECTIVO という文字。なんだか面白そうなニオイがしませんか?

ところが、辞書がなかったのでこの verbo defectivo の日本語訳が分からず、ネットで調べても手に入れられず。。。そんなこんなでずっと保留にせざるを得なかった今回のテーマですが、日本からわざわざメキシコまで送ってもらった西和中辞典のおかげでついに止まっていた時間が動き出しました!

ずっと気になっていたこの verbo defectivo ですが早速、西和中辞典で defectivo を引いてみるとそこには

〖文法〗欠如動詞(defectivo)

とありました。

ようやく手に入れた「欠如動詞」という日本語訳。今回はこの初めて聞くスペイン語の文法事項について RAE の辞書だけではなく、太平洋を越えて渡墨した西和中辞典にも依拠しながら調べていこうと思います。

 

【考察】

まずは DRAE で verbo と検索してみると、そのページに "verbo defectivo" が載っていました。その定義は、

verbo defectivo
すべての法、時制、人称では用いられない動詞(verbo)

動詞には法(直説法・接続法・命令法)、時制(現在・過去・未来)、人称(一・二・三人称または単数・複数)のそれぞれに活用がありますが、「欠如動詞」とはその名前の通りに、活用のいくつかが欠如している動詞のことのようです。すなわち、abolir の直説法現在は nosotros,asvosotros,as にしか活用しないのでこの動詞は欠如動詞と見なされているようですね。

続いて、この verbos defectivos と呼ばれるものに関して Nueva Gramática で調べてみると、「動詞の活用 (La flexión verbal)」が主題の第4章の内、§4.14が丸々この欠如動詞に関する節となっていました。§4.14a から §4.14f までしかない、珍しく短い節なので奮起して網羅していきます。

では、早速§4.14a から見ていきましょう ↓

不完全な活用を有する動詞、すなわち何らかの理由によって動詞の活用表からいくつかの活用形が除かれている動詞を DEFECTIVOS と呼ぶ
amanecer, anochecer, llover, nevar などの自然現象を表す動詞は統語的要因と意味的要因からほとんど例外なく欠如動詞である
しかし、Llueven chuzos de punta; Le llueven ofertas de trabajo; ¿Cómo amaneciste? などのように、欠如動詞の中には無人称ではない意味を持つ動詞もあるため、限られた意味での使用の場合にのみ欠如動詞となるものがある(§4.14a)

この引用部のおかげで、スペイン語7年目にして初めて動詞の「活用表」をスペイン語paradigma と言うことを知りました。「パラダイム」にそんな意味があったなんて!

さて、それは置いといて。
まず一つ目の欠如動詞グループは「天気を表す動詞」。確かに、基本的には "Amanece" や "Llovió" のように三人称単数でしか使われないですよね。引用内の「統語的要因」とはこれらの動詞が無人称の三人称単数でしか用いられないということを指しています。こんな身近な動詞も欠如動詞だったなんて目から鱗

昔、ある授業でこれらの天気を表す動詞の主語は「天の神様」という説があるというのを習いました。つまり、

  "El Dios llueve." =「神様が雨を降らす」→「雨が降る」

と言った具合で、天気を司る神様が雨を降らせたり、雷を鳴らしたりしているという考えで、その主語である神様がこの無人称文には隠れているとする説です。その隠れた主語が "el Dios" だからこれらの動詞は三人称単数で使われるとかなんとか。

ただ、引用内に例文があるように、意味によっては欠如動詞という扱いではなくなるというケースもあるようです。言われてみれば amanecer だと「朝起きたらのどが痛くなってた」というような意味で "Amanecí con dolor de garganta." という風に言いますよね。 

さらに llover に関しては以前「Cuando las ranas críen pelo」という表現について調べた際に、スペイン人の友人に "Cuando caigan las rana del cielo" という言い方もあると教えてもらいましたが、その後に "Cuando lluevan las ranas" という言い方もあると知りました。そこで初めて動詞 llover が雨以外が「降る」という意味を表すことができるということを知ったのですが、考えてみると日本語でも「雨が"降る"」と同様に「カエルが"降る"」と言うのでおかしくはないのですが、動詞 llover はずっと「雨が」降る思っていたので違和感を覚えました。
ですが、こういう使い方においては当然主語に合わせて動詞を活用するので、欠如動詞にはならないというわけですね。


次の節も同じ理由から欠如動詞となっている種類の動詞群についてです。

三人称でのみ活用する動詞 (acaecer, acontecer, atañer, competer, concernir, empecer, holgar, obstar, ocurrir, urgir 等) は通常、人について言及はせず、前置詞的使用 (Ocurre que nadie le hace caso) もしくは出来事 (Ocurrió una catástrofe) について言及する
しかし、この欠如動詞の中にはその意味から人を主語に取ることが認められているものもあり、例えば「催促する」という意味での urgir: Me urgía a que yo también lo hiciera (Roa Bastas, Vigilia) や「権威に頼る」という意味での ocurrir: Ocurro a la Benignidad de Vuestra Señora para que [...] (Sas, Música) の使用などがある(§4.14b)

三人称でのみ活用する動詞」はスペイン語では "verbos terciopersonales" と言うようです。そして、この種の動詞群も amanecerllover と同様に、意味によっては欠如動詞ではなくなるという特徴があるようです。

例えば ocurrir を "yo ocurro" と言っているのなんて聞いたことないですよね?
と、勝手に決めつけてしまいましたが、みなさんどうでしょうか?少なくともぼくは "ocurro" とは聞いたことないです。DRAE を引いてみると、

3. intr. Recurrir a un juez o autoridad.(ocurrir)

「裁判官または権威に頼る」とあり、引用部の例文は「私は[...]のために貴女の寛大さに頼ります」という意味になります。そんな意味があったなんて!ちなみに、この意味は西和中辞典には記載されていません。
ただ、 acaecer, acontecer と同じ「生じる」という意味での ocurrir に関しては

ocurrir(自)⦅3人称で⦆…が起きる

という風に一応、人称の指定がされています。まあ、「私が生じる」「君が生じる」という奇妙奇天烈な文でない限りは基本的に生じるのは何かしらの「出来事」なので三人称にしかならないですよね。

引用内に出てきたそれ以外の動詞も西和中辞典で引いてみると、次のように欠如動詞であることを示唆する内容が書かれている動詞がありました ↓

atañer(自)⦅a....⦆⦅...に⦆かかわる、関係する. Este asunto no te atañe a ti. この件は君は関わり合いがない. ▶3人称のみに活用

concernir(自)⦅a.... ...に⦆関係する、かかわりがある. No me concierne decidirlo. 私はそれを決定する立場にはない. ▶3人称で用いられる

empecer(自)妨げる ▶ふつう3人称および否定文で使われる

obstar(自)⦅para que +接続法 ...することの⦆邪魔になる、妨げになる. ▶3人称・否定文で用いられる. Eso no obsta para que continúe. それは僕が続けてやる妨げにはならないよ.

三人称でしか使用されない動詞、すなわち三人称にしか活用しないのでそれ以外の活用形を持たない(=使われることがない)ために欠如動詞となっているグループということで、これらの記述がされています。

holgar に関しては ocurrir と同じケースのようです。まずはその意味 ↓

holgar(自)
1 休む、怠ける. Huelgo los jueves. 私は木曜日は働かない.
2 余計である、不必要である. Huelga añadir [decir] que... ...と付け加える [言う] までもない. ¡Huelgan los comentarios! 講釈は結構だ.

ストライキ」を意味する huelga の動詞ということで1の意味がありますが、例文で一人称単数で使われているように、この意味はすべての人称に使用できるため、この意味での holgar は欠如動詞にはならないですね。つまり、この holgar を欠如動詞たらしめるのは2の意味の方ということになります。

ということで一種類目の欠如動詞グループには、自然現象を表す動詞や「生じる」を意味する ocurrir, acaecer, acontecer などのような常に三人称でしか用いられず、一・二人称には活用されない動詞が属します。ただし、動詞の意味によっては三人称以外でも使用可能となることもあり、その場合はもちろん欠如動詞とは見なされません。


さてさて、続いての欠如動詞グループは二つの動詞しか属さないようですが、上二つとは別の理由で欠如動詞と見なされているようで、、、

soleracostumbrar(後者はその内の一つの意味においてのみ)は§28.9b-fにおいて迂言的助動詞‹1›として分析されており、不完了の意味で不定詞を用いる迂言法にて使用されると説明されている
そのため直説法現在形 (acostumbro, suelo)、接続法現在形 (acostumbre, suela)、直説法線過去形 (acostumbraba, solía)、現在完了形 (De este tipo de sueños he solido olvidarme siempre (Semprún, Federico Sánchez) にのみ活用される
最後の現在完了形はほとんどの場合「経験の現在完了」と呼ばれる用法で使用される
不完了形もあるものの、この二つの動詞は未来形と過去未来形では使用しない
この意味での solieronacostumbraron という形に見られる異常は soleracostumbrar の不完了性と、これらの時制の完了性の間に生じるずれによるものであると一般的に説明される(§4.14c)

‹1› 迂言的助動詞 (auxiliares de perífrasis) ... 文法的機能を動詞の活用で表す代わりに、複数の語を用いて表す用法を「迂言法」という。例えば、「未来」を表す際に "cantaré" の代わりに "voy a cantar" のように "ir a +不定詞" という迂言法で表すことができる。他にも「義務」を表す "debo +不定詞" や "hay que +不定詞" や「再び...する」を表す "volver a +不定詞" などもこの迂言法に当たる。

ここに出てくる二つの動詞はそれぞれ "soler +不定詞" と "acostumbrar a +不定詞" のように他の動詞を伴って迂言的にそれぞれ「よく…する」「…することを習慣とする」という意味を表しますよね。ここでは「迂言的"助動詞"」と呼んでいますが、それはおそらくそれぞれの意味の「…する」という部分の不定詞がその文のメインであり、これらの二つの動詞が、「可能」を表す poder や「義務」を表す deber などのように助動詞的に機能していることから「迂言的助動詞」という名で呼ばれているんだと思います。

一応述べておきますが、ここでの "acostumbrar a +不定詞" は自動詞で「…することを習慣とする」という状態を表し、"estar acostumbrado,a a +不定詞" と同じ意味を示します。これが他動詞だと "acostumbrar al hijo a dormir solo"「子どもに一人で寝るように習慣づけさせる」となり、再帰だと "acostumbrarme al trabajo"「仕事に慣れる」のように「慣れさせる・慣れる」という動作・行為を表します。ここでは「慣れている」という状態を表す自動詞での "acostumbrar a +不定詞" のことを指しているので、誤解がないようにしてください。

さて、これら二つの動詞を DRAE で引いてみると、ともに以下のような注釈が書かれていました ↓

U. m. en pres. de indic. y de subj. y en pret. imperf. de indic.(soler, acostumbrar)

「直説法現在と接続法現在、そして直説法線過去でより使用される」とあります。言わずもがな、acostumbrar の方は上で言及した意味にのみ当てはまります。Nueva gramática では現在完了でも使用されるとありますが、DRAE にはそのようには書かれていません。
そして、おそらくはこの DRAE に依拠しているであろう西和中辞典でも引いてみると、soler の方に

(▶直説法現在、線過去でのみ用いられる)

という記述がありました。接続法現在については触れられていませんが、直説法現在で使われるのであれば文脈次第で接続法現在も使用されるはずですので、DRAE の内容とほぼ一致していると言えます。

ここで、各活用の使用傾向を調べるためにGoogleでフレーズ検索をしてみます。ただ、ネイティヴ曰く、この意味での acostumbrar はあまり自然に使われるものではなく、硬い言い方に聞こえるらしく、soler の方が圧倒的に一般的とのことです。というわけで、soler を三人称複数での時制別に検索してみます。(検索実施日 2020/11/09)

      時制      検索フレーズ      ヒット数
 現在  "suelen hacer"  約1,280,000件 
 現在完了  "han solido hacer"   約4,320件
 点過去  "solieron hacer"  約273件
 線過去  "solían hacer"  約245,000件
 未来  "solerán hacer"  約4件
 過去未来  "solerían hacer"   0件
 接続法現在  "suelan hacer"  約39,100件
 接続法過去   "solieran hacer"  約283件

使用例が多い時制トップ3は「直説法現在・線過去・接続法過去」となっており、上で確認した通りの結果が出ました。
そして Nueva gramática では使用されないと述べられている「未来」と「過去未来」についても全くその通りと言える結果が出ています。
「点過去」については277件ありますが、その他の"使用される"時制に比べると圧倒的に少なく、使用されないと判断できる数だと考えます。
「現在完了」はというと、使われているような使われていないような、なんとも微妙な数が出てきましたね。同じ RAE でも Nueva gramática では一応使われるとしている一方で、DRAE では「より使われる」時制には含まれていないように、使用されることもあるけどそこまで頻繁ではないという現実が検索結果数から窺えます。

さて、soleracostumbrar が表す「習慣」とはある期間の間に継続的に行うことを示しますが、それが過去のことを言う際は「習慣的によく~していた」となりますよね。そもそもの話になりますが、この場合 soler などを使わなくとも、その行為を示す動詞を直接線過去にしたら解決しますよね。線過去の「過去の習慣」という用法です。

例えば「よく外食していた」という文があるとすると、"Solía comer fuera de casa." のようにわざわざ soler を使わなくても "Comía fuera de casa." のように comer を線過去にしたらそれで過去の習慣を表すことができますよね。もちろん、この soler を使うことで習慣的に行っていたことを明確にしたり、強調したりといったニュアンスが付加されるとは思いますが、よく考えたらそもそも「soler +線過去」って重複している気が。。。もちろん、これは「過去」の習慣の話だけですが、言ってしまえば「習慣 + 過去の習慣」ということで二重で表していますよね?

この重複が問題か否かは不問としますが、「習慣」を表す soler と「過去の習慣」を表す線過去が相性が良いのは明らかですよね。むしろ、「習慣」という重複した意味を持っているからこそ、この組み合わせが最適と言えるのかもしれません。
こうなってくると、引用部の最後で述べている soleracostumbrar を点過去で用いた際に見られるとされる「異常」に関しては、これら二つの動詞が持つ「習慣」という意味が過去時制になった時に最も適しているのが線過去であるため、線過去とは全く異なる時間区分を示す点過去とは必然的に相まみえないという結論に至ります。

実際のところ、Googleでの検索結果数で比較してみると点過去は300件にも達しておらず、線過去はそんな点過去よりも900倍の使用例があります。このことからも分かる通り、この soler は点過去とは用いるべきではないことが明確です。

というわけで二種類目の欠如動詞グループには、「習慣」という意味から点過去・未来・過去未来(・接続法過去)とは相性が悪いため、これらの時制ではほとんど用いられない soleracostumbrar が属す。

 

【次回】

さて、今回は一旦ここまで。
どうやら欠如動詞には4つの種類に大別することができるようで、残り二つについては次回見ていきます。