イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

スペイン語における"バグ"

「3月1日は日曜日で祝日、晴れの日でした」

日本語とスペイン語の通訳をしているメキシコ人の友人にこの文を見せられ、「ほら、日本語って難しいでしょ」と言われました。彼曰く、この一文に日本語の難しさが凝縮されているとのことですが、何が難しいのかさっぱりだったのでどういうことかを聞くと、この一文に出てくる5つの「日」の漢字がすべて読み方が違い、日本語の漢字の煩雑さを表しているらしいです。。。

タシカニ
ネイティヴからしたら大変ですよね。実際、日本語の通訳をしている人や勉強している非ネイティヴに日本語で何が一番難しいと思うか質問すると、大抵「漢字」という答えが返ってきます。ネイティヴ並みに日本語を話せるレベルの人でも読み書きは得意じゃないという人は結構周りにいます。
ぼくは言語が好きで複数の外国語を本気またはかじる程度に勉強してきましたが、常々「外国語として日本語を勉強する気にはなれない」と思います。もし自分が例えばスペイン語ネイティヴで、今くらい外国語に興味を持ってても日本語は選ばないかなと(笑)
母国語である以上、日本語を完全に客観的に見ることはできないですが、それを考慮しても abc といったアルファベットを使うスペイン語などを母国語に持つ人にとっての日本語の難しさ、というよりは「習得する大変さ」は計り知れないかなと。だからこそ、ぼくは日本語を操る非ネイティヴの方々には本当に尊敬の念を抱きます。

上の文を教えてくれた友人は日本語でこう嘆いていました。「日本語はバグってるよ。。。」
彼は「バグる」という口語(?)を使いこなすくらいに日本語が上手なのですが、そんな彼でも難しいようです。それにしても「バグってる」って(笑)

 

【きっかけ】

スペイン留学中に一瞬で惹かれたタイトルのブログ記事を見つけました。それがこちら ↓
"El bug del español: una palabra que no se puede escribir (2011/02/10付)"

Un Arácnido Una Camiseta という名のブログで、そのタイトルは「スペイン語のバグ : 書き表わすことができない言葉」。めちゃくちゃオモロそうじゃないですか?
でも、表記できないって一体全体どういうことなんでしょうか?もしそれが本当なら確かに"バグ"かもしれませんが、そんなことってあり得るのでしょうか??

この記事で扱われている「スペイン語のバグ」というのは

  に対する salirle の命令形

これだけを聞いて何でバグかが想像できたらスペイン語センスありじゃないでしょうか。少なくともぼくは一ミリも想像つかなかったデス。。。

今回もまた衝撃的な内容となっています。

 

【考察】

スペイン語なのにスペイン語で表記できないってどういうことでしょうか?早速ですが、上のブログ記事を引用させてもらいます。

スペイン語におけるバグ : 書き表せられない言葉
数日前に RAE に salirle の命令形はどう表記するかについて質問しました。RAE の回答は以下です。

あなたの質問に関して、次の情報を送ります。
スペイン語では ll は必ず二重子音として解釈されるため、動詞 salir の二人称単数 に対する命令形の sal に無強勢代名詞 le を付けてできる言葉は発音することは可能であるが、文字で表記することは不可能である。例えば代名詞 le で表される誰かに "salir al paso"「前に立ちはだかる」もしくは "salir al encuentro"「出迎える」と命令する場合はそれぞれ [sál.le al páso]、[sál.le al enkuéntro] という発音になる。動詞に後置する無強勢代名詞は動詞に直接くっ付けて表記されるため sal + lesalle という表記となるが、その読み方は [sal.le] ではなく [sá.lle] となってしまう。

つまり、我々はスペイン語正書法におけるおそらく唯一のバグを見つけたのです。文法的に成り立っており、発音することも可能ではあるものの、表記することができない言葉。RAE の Ortografía の次回の改訂版ではこれに対する何らかの解決策はあるのでしょうか?もしかするとハイフンとか?

文法的規則に従って命令形を作るとその表記は "salle" となり、その発音は [sal.le](サルレ)のはず。しかし、スペイン語では ll はリャ行やジャ行のような音で発音されるので、この "salle" をスペイン語の発音のルールに則って発音すると [sá.lle] (サジェ)となってしまい、本来の音を表すことができないのです。

ホンマや。。。驚天動地の衝撃事実がここにあり。
文法に従って表記し、その表記に従って発音すると、違うものになってしまいます。これは確かに「スペイン語における"バグ"」と言えるかもしれませんね。

この"バグ"に関して RAE の見解としては「発音することは可能であるが、文字で表記することは不可能である」とお手上げ状態。こういう表記はどうでしょう?みたいな提案もないようです。
そこで Ortografía で探してみると、"6.5.2.1.1 一つの音素のみを表す連続する同一の二つの子音 : 二重子音 ll, rr" という節の中の "Información adicional" という部分に今回のテーマに関する記述を見つけました!

が、その内容は上のブログで示された RAE からの回答と一言一句違わぬ内容。つまり、あの回答は RAE がすでに Ortografía の中で述べていたものをコピペしただけということです。

ところで、実はぼくも RAE に何度か質問を送ったことがあり、ぼくは合計で6回質問させてもらいましたが、回答率はなんと100%!さすが我らが RAE!マドリードを訪れた時にプラド美術館には目もくれず、その裏にある Real Academia Española 本部に目を輝かせていた少年の期待を裏切らない神対応
以前は RAE のホームページから誰でもスペイン語に関する質問を直接送れるというサービスがあったのですが、現在は残念ながらそのサービスは終了しており、今はTwitterの方で質問に答えています。ただ、そうなるとすべての質問に答えているのかは分かりませんが。

上で「コピペしただけ」なんてぬかしてしまいましたが、正直コピペだけでも心底ありがたいのです。というのも例えば、あなたの質問に関するテーマは Nueva gramática の第何章の第何節で説明されていますので参照してくださいのように丁寧にどこに答えが記載されているのかも教えてくださっているからです。
疑問のテーマにもよりますが、膨大な量を有する Nueva gramática から自分に生じた疑問に対してピンポイントに答えてくれる記述を探し出すのはだいぶ骨が折れるので、RAE の返信の中に直接答えや参考記述を提示してくれているのは非常にありがたいのです。

とかなんとか言っていると、驚くことが!
実は RAE のホームページや DRAE にはページの右端に @RAEinforma のツイートが載っているのですが、他の記事のために DRAE を引いているとこんなツイートを見つけました ↓

f:id:sawata3:20201119114104j:plain

すべての」質問に答えるってあるやん!!こんなタイミングでこんなうれしいニュースが飛び込んでくるなんて!これは活用するしかないですね ;)


と、話が逸れてしまいました。
今回のテーマについて書かれた記事を La Vanguardia から見つけたので、そこから引用していきます。"¿Sabes cuál es el imperativo de salirle? (2016/05/07付)"

ブログ Un arácnido, una camiseta の筆者による RAE への質問はその他の質問と同様に普通なものであった。しかし、Real Academia Española の学者たちはこの質問を受ける以前からその解決不可能な問題に直面していた。つまり “salirle al paso” や “salirle con una excusa” のような表現で salir の単数命令に無強勢代名詞 le が付いた形をどのように表記するか?という問題である。長い熟考の末、RAE は以下のように受け入れる他なかった。

と記事は始まり、上で見た RAE の現在の見解が続きます。
そして、、、 

今までにスペイン語で検出された唯一の error がそこにあった。すべての規則に則った上でのバグ。なぜなら sallesal+le ではないからである。
salle [sá.lle] という言葉は DRAE には動詞 sallar(鍬で除草する/倉庫に保管するために材木を広げて置く)の活用の一つとして記載されている。

どうやら sallar という動詞が存在するようで、"salle" だとこの動詞の接続法現在一・三人称単数形の活用で、発音は [sá.lle] (サジェ)とされてしまいます。じゃあ、どうすればいいのでしょうか?続きに表記方法の提案が載っていました ↓

では、salirle の命令形を書き表すためには一体どうすればよいのか?Analogía de Clorinda Matto de Turner (Buenos Aires, 1897) によると、最も現実的な選択肢はハイフンの挿入としており、「sal と代名詞 le を使わなければならない場合は sal-le と書く」と述べられているものの、2010年の RAE Ortografía の改訂版ではハイフンの使用の有効性を否定している。しかし、代替案を提示はない。
これまでに考えられた可能性のある選択肢としては
 ピリオド (sal.le)
 カタルーニャ語ラテン語を真似た中黒付きの ‹1› (sal·le)
 スラッシュ (sal/le, sal\le, sal|le)
 コンマまたはセミコロン (sal,le o sal;le)
 コロン (sal:le)
 アポストロフィー (sal’le)
 引用符 (“salle”)
 プラス記号 (sal+le)
 その他の文字の挿入 (salhle や sallle) など
選択肢はかなり存在し、中にはアルゼンチンやその他のラテンアメリカの国々で使用されている形 salile または冗語的‹2›に e を挿入した sálele というものもある。とにもかくにも、RAE がどの選択肢が最適であるかを決めるのを待たなければならない。その時まではできる限り明確な形で書き表すようにする他ない。

‹1› 中黒(なかぐろ)付きの l (l geminada) ... カタルーニャ語では二重子音 "ll" は「ヤ行」の音になる一方で、二つの l の間に点(中黒)が入って "l·l" となる場合はそのまま l の発音となる。
‹2› 冗語的 (expletivo) ... 本来は必要ないものを、何かを明確にするなどの目的で、余分に付け加えられている様。

これら記号の中で一番"マシ"なのはアポストロフィでしょうか。英語やフランス語では省略を表す際などに用いられていたりするので語中に入っていても一番違和感がない記号のように感じられます。しかし、語中に記号が入り込むことなんてまずありえないスペイン語になるとやっぱり違和感があります。

そして、アルゼンチンなどで使われているという salile に代わって使われている二人称単数の vos に対する命令形ですね。いわゆる voseo というものですが、その命令形は salí となるようなので、そこに le がくっつき(í のアクセントが取れて)salile となるようです。ただ、voseo を使うことがないスペインやメキシコでは急な voseo の出現に戸惑ってしまうかもしれませんね。

結局のところ、この に対する salirle の命令形の表記に今のところ正解はないようで、RAE もどうすればいいのか分かっていないというのが現状のようです。実際、上でも述べた通り Ortografía には「表記できない」と書いているだけであり、RAE も手をこまねいている状態。
結局どうすればエエネンと思いながらも、いつもの癖で Nueva gramática でも探していると、なんと!なんと!!次のような記述を見つけました ↓

-l で終わる命令形に代名詞 le(s) がつながることで -ll- という子音の連続が発生し、l の音ではなく ll の音を例外的に表すことになる
この理由から *Salles al paso のような構文は避けられる傾向にあり、Les sales al paso のように命令形を避ける方が好ましい(§42.3n)

ちゃんと代替案あるやんけ!誰や、RAE に代替案ないって言ったんは。無礼千万!
さすが、我らが Real Academia Española です。どうやら、今回引用させてもらった二つの記事を書いた人たちは Nueva gramática までは調べていなかったようです。
なるほど、確かに直説法でも命令のニュアンスで使うことが可能なので、この *salle に関しては無理に命令法を用いずに、直説法二人称単数を用いて "le sales" という風にした方がよろしいというのが RAE の見解のようです。

文法に従った上での表記が本来の発音をされないのであれば、潔く命令形という選択肢は切り捨ててしまうのが賢明ですね。というか、そうするしかないですよね。
ただ、これはあくまで表記をどうするかの話なので、 に対する salirle の命令形は [sal.le](サルレ)であり、表記ができないだけで発音上は問題なく存在します。命令形自体が存在しないわけではないので勘違いされないように。

 

【今回の結論】

● 二人称単数の に対する salirle の命令形は発音上は [sal.le] だが、理論通りの表記 salle では [sá.lle] という発音を表すことになってしまうため、この命令形を文字で表記することはできない。

● RAE の Ortografía にはこのテーマに関する記述があるが適切な表記法については言及していない。一方、Nueva gramática には命令形は避け、"Les sales al paso" のように表記するという代替案を提示している。


昔、大学のスペイン人の先生がスペイン語は数学的な言語だと言っていました。もちろん文法やら何やらに例外は多々ありますが、こと発音と表記においては非常に理屈通りで、英語で経験した発音と表記の乖離なんかはないですよね。
しかし今回のテーマは、そんなスペイン語が誇る表記理論に従うことによって生じてしまうわけなので「バグ」と呼んでも差し支えないのではないでしょうか?

「日本語はバグってる」と嘆いていた友人に「スペイン語にはちゃんと"バグ"があるよ」と教えてあげようと思います ;)