イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

Me sale el tiro por la culata

裏目に出る」という表現は、二つのさいころを振って出た目の和が偶数か奇数かを予想して掛ける丁半賭博に由来を持つんだそう。さいころの一の対面は六、二の対面は五のように奇数の"裏目"は偶数であり、裏目が出ることによって自分の賭け(=望み)と逆の結果になることから「裏目に出る」という表現が生まれたそうです。

気になったので、この丁半賭博に由来する表現は他にもあるか調べてみると、、、

きちんと予想をせずに「出た目でいいや」といういい加減な様子を表した「デタラメ

出目は完璧に予想できないことから運任せにする他ないことから「出たとこ勝負

運を天に任せる丁半賭博の「丁」と「半」の上の部分からそれぞれ「一」と「八」を取った「イチかバチか

などが見つかりました。
どれも普段使うような表現ですが、「裏目」「デタラメ」「出たとこ」とはどれもさいころの出目のことを表していたんですね。また、漢字を使う日本語だからこそ生まれた「イチかバチか」の語源も非常におもしろいです。

 

【きっかけ】

表題に置いた表現 "salirle el tiro por la culata"。どういう意味か想像できますか?
今回もぼくがスペイン留学中にネイティヴが使っているのを聞いて知ったおもしろい表現についてです。

 

【意味】

さて、まずはこの表現が文字通りにはどういう意味を表すかから見ていきましょう。問題となる単語は tiro と culata 。
tiro は動詞の tirar に「発砲する」という意味があることからも分かる通り、ここでは「銃弾」を意味します。そして、culata は銃のお尻部分の「銃床」という場所を意味します ↓

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茶色い部分が銃床

「お尻」を意味する culo からも連想できますね。ちなみに、牛や馬などの動物の部位としての「お尻」はこの culata と言います。

さてさて、この表現を直訳すると「銃弾が銃床から出る」となりますが、その意味を想像できますか?DRAE ではこう説明されています ↓

salir el tiro por la culata
1. loc. verb. coloq. Obtener resultado contrario del que se pretendía o deseaba.(tiro)
訳)口語的動詞句. 求めていた結果、または望んでいた結果と反対の結果を得ること.

つまり、この表現は「裏目に出る」を意味します。
獲物に銃口を向けて狙いを定め、引き金を引くとまさかまさかの銃弾が銃床から自分の方に発砲されるという、コテコテのギャグ漫画のような展開ですが、これがスペイン語の「裏目に出る」という言い方です。
ただ、さいころが「裏目に出」たところで賭けに負けるだけですが、「銃弾が銃床から出」たら一溜まりもありませんよね。確実に致命傷になり得る出来事なので、それぞれの表現を文字通りの意味で捉えるとその被害の度合いは比較になりませんね(笑)

ぼくがこの表現を知ったきっかけは、ある友だちがぼくとの待ち合わせに遅れそうになって普段は通らない近道を選んだらそこが工事中で通ることができず、結局いつもの道以上の時間がかかってしまったという、これぞ「急がば回れ」という教訓的エピソードがありました。その時、その友だちがぼくに言ったのが

Cada vez que cojo un atajo, me sale el tiro por la culata jeje
近道するたびに裏目に出ちゃうね(笑)

テヘペロじゃねぇよ」と思いながらも、新しい表現を教えてもらったのでよしとしました(笑)


さて、この表現で注意すべき点が一つ。それは文の主語です。
例えば、日本語だと「対策が裏目に出た」のように望んでいた結果と逆の結果が出てしまった内容を「○○が裏目に出る」という風に主語に置くことができますよね。しかし、スペイン語の方では、その慣用的な語順に惑わされるかもしれませんが、この表現の主語は "el tiro" です。なので、*Las medidas le salieron el tiro por la culata という風にしてしまうと主語が二つ並存することになるので、文として成立しません。

この文を正しくスペイン語にするのであれば、例えば "Aunque se tomaron las medidas, le salió el tiro por la culata" や "En cuanto a las medidas le salió el tiro por la culata" というように、日本語で主語になる内容をその文の主題(テーマ)として一度明示してあげる必要があります。あくまで主語は "el tiro" であるので salir は常に三人称単数形にしか活用されないことをお忘れなく。

また、他の実例としては、ぼくがスペインに留学していた時期がちょうどカタルーニャ独立の住民投票が行われる少し前の時期だったので、独立に否定的だった友だちが

A Cataluña le podría salir el tiro por la culata al independizarse.
独立はカタルーニャにとって裏目に出るかもよ。

のように言っていました。
ぼくはまさにこの文を聞いた時に、頭に浮かんだ日本語とスペイン語文の主語の違いに気付いて、この表現の使い方には気を付けないといけないなと感じました。ちなみに、ネイティヴの友だちに聞くと、

A Cataluña le podría salir el tiro por la culata CON la independencia.

のように、前置詞の con でも何が裏目に出るのかを表せるそうですが、文脈次第では分かりにくく感じるそうなので、やはり上で記したような方法もしくは前置詞 por と動詞を使って "por independizarse" のようにして日本語文で主語に当たる部分を示した方が分かりやすいそうです。

また、この表現のある種応用的な使い方にも出くわしました。恋愛の話の中である女の子が

"Ser amable" puede ser un tiro por la culata.
優しさが裏目になることもあるからね。

のように言いました。
「なるほど、優しすぎてもアカンねや」と思いながら同時に「おー、"tiro por la culata" だけでも使うんや!」とダブルで学ばせてもらいました ;)
このように salir を使わないケースもあるようです。日本語でも「裏目に『出る』」ではなく「裏目に『なる』」と言うこともあるのに似ていますよね。なので、ここでは敢えて「なる」と訳しました。

 

【対義表現】

上の表現と逆の意味を表す、同じくスペインでネイティヴが使っているのを聞いて覚えた表現があります。それが salir a pedir de boca 。
DRAE には "a pedir de boca" という成句で次のように載っていました ↓

a pedir de boca
1. loc. adv. Tal como se deseaba. Todo resultó a pedir de boca. U. t. c. loc. adj. Una solución a pedir de boca.(boca)
訳)副詞句. 望んでいたその通りに.「すべてが望み通りになった」. 形容詞句としても使用される.「望んでいた通りの解決」.

ぼくの中で salirle el tiro por la culata の対義表現とずっと考えていたので、この a pedir de boca にも動詞は salir を使うものだとばかり勝手に思い込んでいましたが、例文にある通り resultar や、また ir も使われるようです。

ぼくがこの表現を知ったきっかけは、友だちがある授業の期末テストがかなり難しくて単位を落とすかもと嘆いたことを思い出して「あの落とすかもって言ってたテストの結果どうだったの? (¿Cómo te ha salido el examen que decías que ibas a a suspender?)」と恐る恐る聞いてみると、その子は満面の笑みで "¡¡A pedir de boca!!" と言って喜んでました。

その時初めて聞いたのでその正確な意味は分かりませんでしたが、ものすごく喜んでいる様子からして、単位を落とさずに済んだということは分かりました。ですが、よくよく聞くと及第点50点に対して52点だったそう。それでも単位を落とさずに進級できるから「満足がいく結果が出た」んだとか。。。まあ、彼女の「望んでいた」ことが進級であったから彼女にとってはその点数でも "(Le ha salido) a pedir de boca" ということなんでしょう(笑)

こちらの表現は先に見た salirle el tiro por la culata とは異なり、満足がいく結果になった内容が主語になります。つまり、テストがうまくいったのであれば、テストをそのまま主語に置いて "El examen me salió a pedir de boca" という風に言えます。

留学中は新しく覚えた単語や表現をスペイン人の友だちとの会話の中で -何食わぬ顔で- 使って彼らがどんな反応するのか窺ってました。もし使い方が間違ってたら訂正してくれるし、あまり使わないような単語や表現だったら「ん?」というリアクションや「その単語は使わないよ」と教えてくれたり、そして正しく使えて"お咎めナシ"の時は心の中でひっそりとガッツポーズをして「これは問題なく通じるんやな」と自分の辞書に記していました。
そんな中、この表現を覚えたのですぐにも使いたいと思って、ある友だちに「期末テストどうだった?」と聞かれた際にここぞと言わんばかりに "Me ha salido a pedir de boca" と言いました。もちろん何食わぬ顔で。すると、彼女が "¡Wow, eres muy español!" と、普段片言の奴がめちゃめちゃネイティヴな表現を使ってきたことに驚いてました(笑)

何はともあれ、褒めてもらったおかげでこの表現がぼくの辞書に刻まれました :)

 

【類似表現】

裏目に出る」と同じ意味で「逆効果になる」とも言いますが、スペイン語では contraproducente と言います。ぼく個人的にはメキシコで働き始めてから知った単語で、前回の記事「"オレの"落ち穂ひろい④」の中に入れようか迷ったんですが、これは形容詞ということで残念ながら落選しました :)

ある時、通訳していると「それは逆効果になるかもね」という日本語が出てきました。この時は contraproducente という単語を知らなかったので「オァー、ギャクコーカ!?」と自分の引き出しにない単語に狼狽しながらも、高校の時に「逆効果」って英語で何て言うんだろうと思って調べて知った counterproductive という単語を思い出しました。通訳中に辞書を引くわけにはいかないので、自分を信じてこの英単語をスペイン語化して "Eso puede ser contraproductivo" と訳しました。

この productivo,a という形容詞にはぼくは少しばかり親しみがあります。会社の中で「製造エリア」のことをほとんどの人が área de producción という風に呼んでいるのですが、数は少ないものの área productiva と呼んでいる人もいます。ぼくは初めて聞いた時に「なるほど、名詞 producción の形容詞は productivo,a だからそういう風にも言うんだな」と、考えてみたら当たり前ですが、自分にはその発想がなかったのでこの言い方に新鮮さを感じ、この productivo,a という形容詞が結構印象に残っていました。そんな経験があったので、英語で productive だったらスペイン語では productivo だろうと思って contraproductivo で挑みました。

結果はメキシコ人の人たちに言いたいことは伝わりました。しかし、正しくは "contraproduCENTE" だよと訂正してくれました。(こうやって訂正してくれるのはめちゃくちゃありがたい!)

ここで一つ疑問が。
「逆効果である」が ser contraproducente であるならば、その逆の「効果的である」は ser producente になるはず。でも、例えば社内で問題が起きた時に実施する対策が「効果的であった」と言う時は "Las contramedidas fueron efectivas (もしくは eficaces)" というように別の言い方があり、producente なる語は聞いたことがありません。気になってメキシコ人の同僚に聞いてみると「contraproducente という単語はあるけど、producente という単語は存在しない」と教えてもらいました。

なんと!そんなわけないと疑いながら DRAE で検索してみると、、、

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ホントにない!そんなバカな!!
でもそれが現実。ぼくの感覚としては、「効果的な」を意味する producente という語がある上で、それに「逆」を表す contra- がついてこの contraproducente という語が生まれた、という順番かなと思うのですが、実際はその前提となる語 (producente) が存在しないという衝撃。

ただ、実は同じことを imbécil でもぼくは経験済みです。この「愚かな」を意味する単語を初めて知った時に、ちょうど posible「可能」に否定を示す接頭辞の im- が付いて imposible「不可能」となるように、im- を取った bécil だけだと「愚かな」の逆で「頭が良い」のような意味を表すのかなと考えました。
つまり、まずは bécil という語があって、そこからその逆の意味を持たせるために接頭辞が付いて imbécil が生まれたと。しかし、実際はスペイン語に bécil という語は存在しないのです。

ぼくは、単語というものはまず初めに「肯定的な」意味を持つ語が存在して、それに「否定的な」意味を付与する接頭辞などがついてその対義語が生み出されると思っていました。ですが、実際のところ contraproducente や imbécil のように否定的な意味を持つ語でも、否定を意味する接頭辞を取り除いた形は存在しないというケースにぶち当たりました。

ぼくはまさに imbécilim- は否定を表す接頭辞と勘違いしてしまったわけですが、実際は bécil という語を否定しているわけではなく、語源からその形になっただけのようです。深読みしすぎたせいで自分の中で勝手に、この世に存在しない bécil という語を生み出してしまっていました。
これはまさに以前の記事「"SUPERvivir" vs "SOBREvivir" (i)」の中で学んだ造語法の一種「逆成 (derivado regresivo)」じゃないでしょうか?どういうものだったかというと、、、

語の一部を接辞として解釈し、その語が派生語であるかのように捉えることによって、その"本来は接辞ではない接辞に見える部分"を取り除いて新しい語を生み出すこと。

contraproducente の場合は、contra- 自体は実際に接頭辞として機能しているので厳密にはこの逆成に当てはまらないかもしれませんが、それでも「逆」を表す contra- を取った producente が「効果的な」を意味する単語だと考えてしまったこの考え方はまさに「逆成」と言えます。

もし今後、「逆効果の」や「愚かな」の反対の意味を表す単語として producente や bécil という語が誕生したら、それはまさしく逆成によって生み出された語ということになります。

 

【まとめ】

● "salirle el tiro por la culata" は期待とは反対の結果が出るという意味で「裏目に出る」に相当する。DRAE には "salirle..." の形で記載されているが、ser など他の動詞とともに "tiro por la culata" という名詞句としても使われる。

● "salir a pedir de boca" は期待通りの結果が出るという意味を表す。

●「逆効果である」に相当する表現は "ser contraproducente"。*contraproductivo,a および「効果的である」という意味で *producente という語は存在しないため注意。


スペインにいた頃、カナダで買った西英辞書を使っていたので、salirle el tiro por la culata を知った際に英語では何て言うのか気になって調べてみると、どうやら英語では to backfire という動詞一つでこの意味を表せることができるようです。だいぶ楽ですよね。

fire は「発砲する」という意味があり、それに back が付いているので「後ろに発射する」となり、スペイン語の salirle el tiro por la culata とまさに同じ意味になっていることに感動したのを覚えています。
ところが、今回この backfire を英和辞典で引いてみるとどうやら本来は車などのエンジンで燃焼した炎が逆流する現象のことを表すそう。つまり、ここでの fire は「発砲」ではなく、単純に「火」だったようです。なので、スペイン語での表現との繋がりは皆無ということ。オレの感動を返せ(笑)

まさに、深読みが裏目に出テシマイマシタ。。。
Por pensar demasiado, me ha salido el tiro por la culata...