イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

Mi media naranja resultó ser un medio limón...

今日9月30日は「翻訳の日」。
ぼくの今の仕事は通訳であり、中学生の頃から将来の夢は翻訳者よりも通訳者でした。仕事上翻訳もしますがあくまで自分は intérprete だと思っているので、会社で traductor と呼ばれるのがあまり。。。(笑)
ただ「通訳の日」という日はないので、今日9月30日を通訳者も労をねぎらう日とさせてもらいます ;)

 

【きっかけ】

「翻訳できない言葉や表現」って面白いですよね。それを知るのは外国語を勉強する上での楽しみの一つです。
翻訳できない言葉はスペイン語にもたくさんありますが、いつかどこかの媒体で media naranja が紹介されていました。スペイン語を学んでいる人ならほとんどの人が聞いたことがあるであろう「理想の伴侶」を表すこの単語ですが、なぜ「半分のオレンジ」がロマンチックな意味を表すのでしょうか?
この表現の起源を調べてみるとかなり歴史のある起源だったので、今回は他の言語には翻訳できないこの言葉の由来を見ていきます。

 

【意味】

まずは DRAE での定義を確認しておきます ↓

media naranja
1. f. coloq. Persona que se adapta tan perfectamente al gusto y carácter de otra, que esta la mira como la mitad de sí misma.
2. f. coloq. Con respecto a una persona, cónyuge o pareja amorosa.(naranja)

1.「好みや性格が完璧に合い、自身の半分(片割れ)として見なしている人」、2.「配偶者または恋人」とあります。
定義を見ると分かる通り、必ずしも愛が関係する相手ではないようですね。1.の方の定義では単純に「好みや性格が完璧に合」う人としか述べられていません。しかし、ネイティヴの友だち複数に聞いてみると、やはり2.のように恋愛としてのパートナーというニュアンスが一般的とのことです。

この media naranja は西和辞典で引いてみると「伴侶」という和訳が充てられています。これを機に「伴侶」という日本語を辞書で引いてみると「一緒に連れ立っていく者」というのが本来の意味で、そこから「配偶者」という一般的な意味になっているようです。ぼくは「伴侶=配偶者」、つまり恋愛の相手というニュアンスが含まれていると思っていましたが、本質的には男女や恋愛要素に関係なく「ツレ」を表すようです。
となると、日本語の「伴侶」とスペイン語media naranja はともに一般的には恋愛の相手という意味で通っているものの、元来は性別を超えた絆を持つ相手という意味があるという点で共通していますね。
そして、そこに DRAE の1.の定義を加味して「"理想の"伴侶」とした方がより media naranja が持つ意味を言い得ているかなと思います。

 

【起源】

muy interesante の記事でこの表現の起源について書かれているものを見つけました。今回はこちらの "¿CUÁL ES EL ORIGEN DE LA EXPRESIÓN MEDIA NARANJA? (2019/01/21付)" から引用させてもらいます。

どうやら、この表現の起源は古代ギリシャまで遡るようで、、、

この愛の表現は紀元前350年頃にプラトンが愛の探求を題材にして書いた「饗宴」という作品の中で、古代ギリシャの喜劇詩人の代表格であるアリストファネスが語った神話に起源を持つ。アリストファネスによると人類は元々ほとんど完璧であり、オレンジのような球体であったとし、次のように語っている。
「すべての人間は丸い形をしていた。彼らは丸い背中に丸い脇腹、四本の腕に四本の脚、一つの丸い首につながるそっくりな二つの顔、そしてこれら二つの顔につながる一つの頭、さらに二つの耳と二つの性器を有していた。」
そして、これらの人間は「男+男」「女+女」「男+女(両性具有)」の三種類の組み合わせに分かれていた。

作中のアリストファネスによると人間は元々球体だったそうで、その姿を描写してくれています。ただ、あまりにもブッ飛びすぎてて想像がつかないので、この記事から写真を拝借します ↓

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記事より

これが「ほとんど完璧」な人間の姿。。。!?元々は二人一組、というより二人一球だったんですね。絶対動きにくいやろうし、不便なこと間違いなしでしょうが、アリストファネスがそう言っているならそうなんでしょう。
では、なぜこの「オレンジのような」「ほとんど完璧」であった人間が media naranja というように半分になったのでしょうか?続きにはこうあります ↓

この傲慢な生き物(=人間)は自分たちのことを神以上の存在だと思っており、そんな彼らの虚栄心は彼ら自身を神へ対峙させることとなった。人間の傲慢な態度に怒ったゼウスは人間を罰することを決め、稲妻の力で彼らを -ちょうどオレンジのように- 真っ二つに割ってしまった。

一体何をもって「ほとんど完璧」であるとしているのかは不明ですが、その完璧さから人間は傲慢になり、それが神の怒りを買ってしまった模様。そして神ゼウスによって引き裂きの刑に処されたことによって naranja completa から media naranja とされてしまったと。
ここまでしか聞かないと、なぜ media naranja が愛の表現になるのかという点につながりませんが、この表現が持つ「愛」の要素とその意味は次の説明を聞けば納得できます ↓

二つに割られた人間たちは悲しみに暮れながら自らの片割れを探し回って歩き、自身の片割れを見つけた者は死ぬほど抱き合ったという。
人間に同情を感じたゼウスは神の使者ヘルメスに半分になった人間たちの顔を性器がある側へ回すように命じた。こうして彼らは自分の片割れ、すなわち media naranja を見つけるたびに喜びを感じ、加えて両性具有(男+女の組み合わせ)の場合は子孫の残すことができた。
この神話によると人間たちへの罰は自分の片割れを絶えず探すことであり、真の愛だけが彼らを再び引き合わせ、それが本物の片割れであれば元の姿である一体に戻るとされている。

つまり、media naranja とは元々は文字通り一心同体であった自分の片割れだったというわけですね。だからこそ「好みや性格が完璧に合」うし、真の愛によってのみ再会できるという点から愛の表現になったということです。
起源を知ると media naranja がいかに運命的な相手かが分かりますね。「"運命の"理想の伴侶」とすればこの表現の起源と厳密な意味をより明示できるんじゃないでしょうか。


なぜオレンジなのかは特に理由はないようで、プラトンがリンゴと言えば media manzana となっていたでしょうし、モモと言えば medio melocotón となっていたと思われます。
さて、そんな「半分のオレンジ」というスペイン語特有の言葉に関連して、オモシロイ言葉があります。以前、メキシコ人の友だちと話していた時、彼の離婚した前の奥さんの話になったのでバカなふりして聞いてみました。

"¿Por qué te divorciaste? ¿Ella no era tu media naranja?"

すると彼がこう言いました。

"Antes de que me casara con ella, era mi media naranja pero depsués resultó ser un medio limón jajaja"

「結婚する前は media naranja だったけど、結婚したら medio limón だったよ」て。甘くて素敵なオレンジだと思っていたら、すっぱくて苦いレモンだったようです。彼は最後に "Me amargó la vida jaja" とも言ってました。一体何があったのかは知りませんが、とにもかくにもまさに limón だったようですね(笑)

色んな人に聞いてみたところ、スペイン語圏では結構一般的なジョークのようで、他にも media cebolla とかもあると教えてもらいました。想像できると思いますが、要は "una media cebolla que te hace llorar" :'(
運命の理想の伴侶に再会するのはやはりムズカシイんですね。。。

 

【類似表現①】

個人的に最近知った類似表現が一つ。別の記事を書くために Nueva gramática を読んでいる際に知った表現が alma gemela 
DRAE に記載はありませんが、その語が意味する「双子の魂」から想像できる通り「心の通じ合った相手」を意味します。辞書によっては「ソウルメイト」という訳が充てられていたりします。

その起源はというと、なんと media naranja と同じで上で見たプラトンの考えに由来するそうです。元は二人一組でくっついていたことを考えると「双子」という語が使われている点に納得がいきますね。
同じ起源を持つ二つの表現ですが、media naranja は「恋人」というニュアンスが強い一方で、この alma gemela は「恋人」だけではなく「親友」というニュアンスもしっかり残しているそうです。

ただ一つ疑問が。双子は gemelo,amellizo,a の二種類ありますが、なぜ alma melliza ではなく alma gemela なのでしょうか?
理由はおそらく gemela が「一卵性双生児」で melliza が「二卵性双生児」だから。一卵性は元は一つの受精卵が二つに分裂して発達したもので、遺伝子的には同一人物だそうです。これを踏まえると、二卵性の melliza ではなく「一卵性」の gemela が選ばれた訳が分かりますし、上で見たプラトンのオレンジの話につながりますね。

余談ですが、「双子」を意味するこれら二つの単語はなんと二重語 (doblete) のようです。まさか同じ語根から来てたなんて驚き!どちらもラテン語で「双子」を意味する gemellus から由来しており、その語形を維持している gemelo が教養語、mellizo が民衆語と考えられます。

 

【類似表現②】

「理想の伴侶(男)」を意味するスペイン語表現は他にもあります。
高校生の時に聴いたジャスティン・ビーバーの曲の歌詞から Mr. Right「理想の男性」という言葉を知りましたが、この英語のスペイン語に当たる表現は príncipe azul じゃないでしょうか?
DRAE の定義によると

príncipe azul
1. m. Hombre ideal soñado o esperado como pareja amorosa.(príncipe)

「青い」王子様がなぜ「恋人として夢見た、または待ち望んだ理想の男性」を意味するのでしょうか?
Cultura Colectiva というサイトで "Razones históricas por las que nunca encontrarás a tu "príncipe azul" (2018/12/06付)" という記事を見つけました。この記事ではまず、なぜ azul が出てくるのかについて二つの説が紹介されています。

そもそも、この表現では形容詞 azul は「王家の出」という意味で使われており、王子様が物理的に青色であるわけではないようです。「貴族の血統」を表す sangre azul でもこれと同じ意味で azul が使われていますが、この形容詞がなぜそのような意味を表すようになったかというと、、、

説①
貴族は太陽の下に出ることはなかったため、その肌は青白く、その白い顔には血管がはっきり見えていたから。
当時の貴族が自らの血統にモーロ人やユダヤ人の血が混ざっておらず純血であるということを示すために白い肌を保とうとしていたとも言われている。

上流階級は外で肉体労働に勤しむ必要がなく、日に焼けることがなかったために白い肌を維持していたことは想像できますね。そしてその白い肌から透けて見える血管が青色に見えたことから「貴族には青い血が流れている」と考えられて sangre azul という表現が生まれたという説です。

透けて見える血管はぼくにはどちらかというと緑色に見えるので sangre "verde" じゃないかと思うのですが、この表現が生まれた時代と地域の人たちには青色に見えていたんでしょう。
色の感覚が違うのかなと一瞬思いましたが、日本では緑色なのに「青」信号と呼ぶようにぼくたちも緑を青と捉えているケースがありました。時代・場所・人種が違えど結局は同じ人間だということですね。ちなみに、日本と同じような緑色をしている青信号はスペイン語では素直に semáforo verde ですが。。。

そして、もう一つの説がこちら ↓

説②
王は天上の (celestial) 出身と関係があり、そのため貴族の血を表す言葉にこの形容詞が充てられ sangre celestial と呼ばれるようになり、時の経過と他言語への翻訳を経て sangre "celeste” となり、最終的に sangre azul として広まった。

日本の天皇家天照大神アマテラスオオミカミ)を始祖に持つ神の子孫とされているように、過去のヨーロッパの王も同様に神の子孫のように考えられていたようです。ここでも人間が考えることはいつでもどこでも同じだなと思わされますね。
そして、このことから sangre celestial「天上(人)の血」という言葉が生まれたものの、いつしか sangre celeste「空色の血」となり、現代に sangre azul「青色の血」として残ったという説です。

azul が「王家の・貴族の」という意味を獲得した起源は以上です。
しかし、そもそも「王子、皇太子」という意味を表す príncipe 自体にこの azul の意味が含まれているので、príncipe azul だと「王家の王子」のように重複することになると思うのですが。まあ、すでに存在している表現ですのでそこは不問としましょう。

では、príncipe azul という表現の起源は何なのでしょうか?

通説ではハンガリーのおとぎ話 “El príncipe azul de las lágrimas” で初めて príncipeazul が組み合わされたとされているが、はっきりはしていない。
この言葉は主にスペイン語で使われているものであり、その他の言語では “príncipe encantador” のように表される。

「青色の王子様」と言うのは主にスペイン語で他の言語ではあまり見られないようです。英語にも blue blood という表現はありますが、辞書を引いても blue prince はありませんでした。
ネットでさらに調べていると、なんとWikipediaに "Príncipe azul" というページがありました!こういうのにもページが存在してるんですね。ちなみに、日本語ページは「プリンス・チャーミング」、英語ページは "Prince Charming" となっており、上の記事にある “príncipe encantador” の通りです。
スペイン語ページを読んでみると、その起源は

作家で文学の教授である Severino Calleja によると、El Príncipe Azul de la lágrima という19世紀のルーマニアの伝説から生じたとされる

としています。そして、この表現が広まった理由は、、、

この表現は1959年にウォルト・ディズニーのアニメーション「眠れる森の美女 (La bella durmiente)」の主人公が歌った歌によって広まり、それ以来、「白雪姫 (Blancanieves)」や「シンデレラ (Cenicienta)」に登場するよく似た人物にこの名が使われている。

調べてみると「眠れる森の美女」の中で "Eres tú el príncipe azul" というタイトルの曲がありました。さすが世界のディズニー。この曲によってスペイン語圏でのこの表現の認知度を広めたようです。
さらに、ディズニーに関してもう一つ興味深いことも書かれていました ↓

2004年の映画「シュレック2」でこの príncipe azul という人物像が破壊された。

言う必要ある?(笑)
でも、確かに下劣な王子様が化け物に負ける作品はシュレックくらいですかね。
一応、英語ページの方も目を通してみると、

スペイン語やイタリア語では「青い王子様 (Blue Prince)」と呼ばれている

とありました。どうやら「青い王子様」がいるのはスペイン語とイタリア語くらいのようです。
この príncipe azul もまた外国語にそのまま直訳しても意味が分からない初見殺しの表現ですよね。

 

【まとめ】

media naranja は紀元前350年頃のプラトンの作品「饗宴」での「人間は元はオレンジのように球体だった」という考えに由来する。必ずしも恋人というわけではないが一般的には「運命の理想の伴侶」というニュアンスで使用されている。

alma gemela もまたプラトンの考えに由来する表現であるが、media naranja とは異なり「恋人」だけではなく「親友」というニュアンスも色濃い。

príncipe azulルーマニアの伝説でハンガリーのおとぎ話の "El Príncipe Azul de la lágrima" に由来し、1959年のディズニー映画「眠れる森の美女」内の曲によって認知度が上がった。


メキシコ人の友人に media naranja について聞いていると、有名な meme があると教えてもらいました。それがこちら ↓

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どういう意味か分かりますか?
実は media はメキシコでは靴下 (=calcetín) という意味があります。あとは皆まで言うなですね :)
スペインだとこれが「オレンジ色のストッキング」になるんでしょう。

でもやっぱり見つけるのはセンスのないオレンジ色の靴下より運命の理想の伴侶の方が良いですね。ただ苦いレモンや泣かされるタマネギに化ける可能性もありますが ;)