右利きは傲慢?
8月13日は「左利きの日」らしいです。人生四半世紀目にして初めて知りました。
学生時代、左利きの友だちが嘆いていました。「この世は右利きの右利きによる右利きのための世界である」と。そして「右利きの人間は傲慢である」と。
それまで気にしたことなんて一度もありませんでしたが、改札や自販機は右利きの人用にデザインされているということをその時教えてもらいました。左利きの人は何かと苦しんでいるようですが、右利きの人間はそんなことつゆ知らず、右利き用に構築された世界の恩恵を当たり前に享受していることこそが「右利きの傲慢さ」らしいです(笑)
偏屈な左利きやなあと思いながら話を聞いていると「左利きは文字を書くのも不利」という文字表記システムへの批判が始まりました。左手で書く場合、横書きだと手を汚しながら書くことになると。
ただ、これは偏狭になりすぎて視野が狭まっているというか、もはや盲目と言う他ないですよね。だって右利きも縦書きの時は汚れるもん。おれにだって小学生の時の「もじのけいこ」の宿題で気が狂うほどに手を汚した経験はあるし、書き進めるにつれて黒いもやがノートに広がって、先生に「あなたのノートは汚い」と理不尽に怒られたことだってあるし。実家にクーラーなんてなかったから夏場は右手の下に二重に折った紙をノートの間に挟んで汗で文字がにじまないようにしたりって右利きだって大変なんやから。
すると、その左利きは言いました。そもそも日本語の文字は右利き用に作られているから左利きには書き難いと。
お前はもうアラビア語学べ!右から左に向かって書く言語だってあるんやから(笑)
ところで、アラビア語ネイティヴは逆に「右利きだと手が汚れる」みたいな愚痴って言うんでしょうかね?「おれは左利きだから汚れないゼ」みたいな右利きへのマウントの取り方とかあるかも。
余談になりますが、大学のアラビア語の先生にどうしてアラビア語は右から左に向かって文字を書くのかと質問したことがあり、とても面白いことを教えてもらいました。
左から書き始める文字表記体系を持つ西洋やアジアでは紙とインク(墨)で記録を残していた一方で、右から文が始まるアラビア語を含む中東地域では紙などの代わりに岩にハンマーとのみで文字を削って記録を残すという習慣がありました。
古今東西、人類は常に右利きの割合が多数派だそうです。なので、岩に文字を削る際は利き手である右手でハンマーを打つので、左手はのみを固定するために使っていました。となると、角度的に右から左へ進める方が文字を打つのみ先が見やすいためこのような進行方向となり、紙とインクの時代になっても変わらず、現代まで続いているそうです。
さて、"傲慢"であった右利きのぼくですが小さい頃から左利きを一種の特殊技能くらいに思っており、ずっと憧れがありました。なので、アラビア語を学び始める際に「右手だと手が汚れるからアラビア文字は左手で書こう」と心に決めて左手でアラビア文字の練習を始めました。ですが、それじゃなくても訳の分からない文字列なのに、左手で書いたら縮れ毛が絡まったみたいになって何も分かりゃせんから早々に諦めました。
ぼくが唯一左手でできることは小学生の時に"矯正"した拍手くらい。つまり、右手は固定し、左手を動かして叩くようにしました。今でも拍手だけは左利きで、右手で叩こうとすると違和感さえあります。残念ながらぼくは拍手以外は左手でできることなんてない、情けない右利きです。。。
【きっかけ】
「左右」に関してスペイン語を習い始めて気になっていたことがあります。
左利きを表す zurdo,a に「不器用な」という意味が、対する「右利き」の diestro,a には「巧みな」という意味があり、左右の扱いが平等じゃないですよね。
さらには「両利き」を意味する単語の ambidextro,a ですが、ambidiestro,a という言い方もあります。「両利き」のはずなのに、それじゃあ両方 (ambi-) とも右利き (diestro,a) になってまうやん。。。
どうしてここまで「右」が持ち上げられていて、「左」が邪険に扱われているんでしょうか?今ふと思いましたが、もしかして absurdo「バカげた」の surdo って zurdo から来てるんでしょうか?もしそうだったら、さすがに左利きが不憫すぎマス。。。
さらに追い打ちをかけることになってしまいますが、スペインで "levantarse con el pie izquierdo" という表現を教わりました。この「左足から起き上がる」という表現は「朝から運が悪く、その日一日中何もかもうまくいかない」というこれまたうら悲しい意味。。。
どうやら、単純に過去の時代にも右利きの方が圧倒的に多数派だったから右に肯定的な意味がつなげられたようです。要は一種の「数の暴力」ですね。
ぼくも一応、拍手だけですが左利きの一員を自負しているので、この見過ごせない風潮が「左右」を表す単語の語源にも反映されているのかを見ていこうと思います。
【語源】
De Chile.net の DEEL で、まずは derecho,a から見ていきます。
ラテン語で「まっすぐさ、厳格さ」を意味する directus に由来
directus は「まっすぐにする」という意味の動詞 dirigere の分詞である
接頭辞の di- はインド・ヨーロッパ語族の語根で「複数の方向」を表す dis- と関連があり、regere は「まっすぐ進む」を表す reg- と関連がある
derecho は directo と二重語‹1›の関係にある
directus は身体の強い側と連想される一方でその逆側、すなわち左は弱い側とされた(DERECHO)
‹1› 二重語 (doblete) ... 同一の語源を持ちながらも「(半)教養語」と「民衆語」のように異なる語形成の変遷を経て生まれた語形が異なる対となる単語。
まさか derecho と directo が同じ語源から来ていたなんて想像もしていなかったのでかなりの衝撃。そして、directo に「まっすぐ」を意味する recto が入っていることに今更気付きました。こっちは気付かないとダメですよね。
ただ、実は derecho と recto が同じ語源から来ていることを仄めかすような経験がぼくにはありました。メキシコに来てすぐの頃、車を運転している時に同乗していた友だちに道を尋ねると "Derecho." と言われたので右に曲がりました。すると、"No, no, RECTO." と言われ、その時に初めて derecho が副詞で「まっすぐ」という意味があると知りました。そもそも名詞の「右」は女性名詞で derecha ですよね。
ぼくはそれまで「このまま道をまっすぐ」という時は "(sigue) recto" という選択肢しか持っていませんでしたが、メキシコでは "(sigue) derecho" という方が圧倒的に多いです。ちなみにですが、スペイン人の友人に聞いてみると「derecho も正しいけどスペインでは recto の方がよく聞く」そうです。
「directo の中に recto が入っている」そして「recto と derecho は同じ意味」という二点から「directo と derecho は語源でつながっている」という結論に、、、至れないか、さすがに(笑)
さて、複数の意味を持っている derecho という単語ですが元々「まっすぐ」という意味から始まったんですね。その意味を付与しているのは語根 reg- のようですが、その語根をそのまま含んでいる単語が regla 。どのように「まっすぐ」と関連しているのかというと、、、
derecho には(1)身体の強い側、(2)法(律)、すなわち正しいこと、(3)まっすぐさ、厳格さ、という三つの意味がある
regla という語もまたインド・ヨーロッパ語族の語根である reg- から来ており、(1)規則、(2)計測するためのまっすぐな棒(=定規)、もしくは規則に従わなかった者を殴るためのまっすぐな棒、という二つの意味がある(DERECHO)
上の引用で見た通り、derecho は元々「まっすぐ」を意味する単語から来ているわけなので「まっすぐ → 正しい → 法(律)」という流れで意味を拡大していったと考えられますね。ずっと derecho がなぜ「右の」と「法(律)」というかけ離れた意味を持つのか不思議に思っていましたがついに解明されました。derecho と「法」のつながりが分かると、法で守られている「権利」という意味にもつながると想像できます。
regla も同様に「まっすぐ」という語源の意味からそのまま「"まっすぐな"もの(=定規)」と「"正しい"とされるもの(=規則)」という一見関連性はなさげですが、語源を知ると連想できますね。
さて、derecho と directo の共通の起源となった directus は「身体の強い側(=右)」と関連付けられていたようですが、右が強くて、左が弱いとされたのはなぜなのでしょうか?答えは続きにありました ↓
政治の世界では一般的に右派は公平に規則に従う者とされる
すなわち強くて公正であり、規則に従うことや判決を下すことに関して"曲がらない"者である
留意すべきは、古代の裁判の判決は非常に残酷であったため、判決を下すためには強くなければならなかったということである
同様に、derecho という単語は口にしたことを実行し、言い訳をせず、恐れずに最後まで必要な行動を取ることができる「公正でまっすぐな」人を示すためにも使用される
一方で、左側(心臓がある側)の者(=左派)は人民の気持ちに気を配り、その同情から生じる弱さによって"曲げられていた"、つまり左派の者は規則に例外を作っていた(DERECHO)
右派の説明に関してはかなり納得させられるんじゃないでしょうか?右派は保守派とも呼ばれるように伝統や習慣などを尊重するため、規則に例外を作りたがらない姿勢が曲がらない、つまり「まっすぐ (derecho)」と捉えられるようになったようです。
他方、左派の説明は若干強引にも感じますが、要は例外を許す様子が弱さと捉えられてしまったために「左=弱い」という結びつきが生まれてしまったと。
ただ、この政治を例にした説に関しては「完全に主観的かつ帰納的である」という意見も同時に記載されています。というのも、「左翼・右翼」というのはフランス革命期のそれぞれの派閥が議会内で陣取った場所(左側か右側か)に由来するだけであり、左右への「革新・保守」という意味の付与はかなり恣意的であるとも述べられています。
確かに、もし当時のフランス議会内が左右逆だったら今使っている「左派・右派」の意味も逆になっていたでしょうから、そんな偶発的に意味が与えられただけなのに「右は強くて、左は弱い」とされたら左利きからしたらたまりませんよね。ただ、後付けの理由だと理解していても上の引用部の説明は納得してしまいますが。
さて、「法(律)」は現代スペイン語では derecho ですが、ラテン語ではまた別の単語があったようで、、、
ローマでは Derecho と Justicia を示すそれぞれの語の間には明確で正確な違いがあり、「正義 (Justicia)」こそが「法 (Derecho)」の創造者であるとされた
ラテン語では derecho は ius, iuris と呼ばれ、justicia は iustitia であった
古代ローマでは真にまっすぐな正義とは完璧な法の施行であると理解されていたため、iustitia (justicia) という語は ius (derecho) から派生した
また、jurisprudencia「法学、判例」に当たる iurisprudentia という語も存在していた
後に ius は「正しさ、まっすぐさ、直線に位置する」を意味する directum と取って代わられた(DERECHO)
ラテン語では j が i の文字で表されていたので ius- が後に jus- となって現代の justicia 等の単語に受け継がれていることが分かります。
そして引用部最後に「後に ius は directum と取って代わられた」とありますが、「法=正しいもの」という関係性からこれらの単語がつなげられたのは納得いきますね。さらにラテン語では法こそが正義という考えから ius → iustitia という語の派生が生じたという点もとても興味深いです。
さて、ここまでは derecho の語源を見てきたわけですが、その原義は「まっすぐ」という意味であり、「右」という意味はその原義から連想に連想されて後々獲得したということが分かりました。では、ラテン語で「右」は何と言っていたのでしょうか?その答えは「右利き、右側の」を意味する diestro,a の語源にありました ↓
ラテン語で「右」を意味する dexter(dextrum の対格)に由来
「右側」、また多くの人にとっての利き手である「右手」は良いことの兆しと関連づけられており、その歴史は古い
dextra はラテン語では「右手」を意味し、他にも派生語として diestra (右手), diestral (右手で扱う小さい斧), destreza (巧みさ、器用さ), ambidextro (両利き), dextrógiro (右旋(光)性の) などがある(DIESTRO)
derecho の語源の中で「右」がポジティヴな意味を獲得した歴史を学びましたが、やはり昔から右利きの人の方が圧倒的に多かったことから、destreza のように「巧みさ、器用さ」というこれまた"右びいき"な単語が生まれ、ついには両手とも器用に扱える「両利き」を表す ambidextro にまで「右」が入ったと考えられます。
おそらくこれらの単語は「右」という意味からではなく、そこから派生した「器用な」という意味から派生して生まれたんだと思います。しかし、その語源は結局「右」なので昔から右びいきであったのは間違いないですね。
derecho,a と同様に diestro,a も「右利きが多数派」という事実が関連しているようですが、ここで注目すべきは「右」という意味を得た順序の違いじゃないでしょうか?
derecho,a は語源的には「まっすぐ」という意味から始まり、そこから「正しい」と意味を得ました。そして「多数派=正当」と見なされるという普遍的な考えから「右」が「正しい」と関連付けられて、その意味を獲得したようです。つまり、流れとしては「まっすぐ」→「正しい」→「右」(同じく「正しい」から「法、権利」という意味へも派生。)
他方、diestro,a の場合は始まりが「右」であり、大多数の人にとって「器用に」使える側であったことからその意味へ派生したと考えられます。すなわち、「右」→「器用な」という順番になりますね。
現代スペイン語で同じ意味を表す単語でも、語源を遡ってみるとその意味への辿り着き方がこうも異なることがあるんですね。これこそ、語源の旅の醍醐味です :)
【ここまでのまとめ】
● derecho,a はラテン語で「まっすぐさ、厳格さ」を意味する directus に由来し、そこから「正しい」、さらには「法、権利」そして「右」という意味へ展開した。
● diestro,a はラテン語で「右」を意味する dexter に由来し、そこから「器用な」という意味を獲得し、destreza や ambidextro などの語が派生した。
これらの意味を改めて見ると、英語の right にも「右」「正しい」「権利」という意味があることに気付きました。そして英和辞書を引いてみると「まっすぐな」という意味も持っているようです。ってことは derecho と全く同じ4つの意味を持ってるじゃないですか!
こう聞くと right の頭の部分もまた reg- から来ていると考えられますね。むしろそうじゃないと、この二つの単語が同じ意味を4つも共有しているなんて相当な偶然ということになります。right と derecho が実は語源でつながっていたなんて語形からでは思いもしませんでしたが、全く同じ4つの意味を獲得したのは偶然ではなく必然ということですね。
さてさて、「右」がだいぶ持ち上げられている記述を見た後だと「左」の扱いが心配になりますね。。。
では次回、「左」側の語源に迫っていきましょう。