イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

¿Crees que me puedas ayudar?

前回からの続き。
早速、論文を見ていきます。

 

【出典・参考】

"CiNii Articlesサーフィン"をしていて偶然見つけた論文がこちら ↓

creerを主動詞とする疑問文の叙法選択の地域差について」(スペイン語タイトル: Sobre la variación geográfica de la alternancia modal en las oraciones interrogativas con creer

2010年11月30日発行の神戸外大論叢(61巻7号27-45ページ)に掲載された論文で、著者はスペイン語界の巨匠・福嶌教隆先生です。
恐縮至極ですが、貴論文からそのまま引用ではなく、ぼくなりにパートごとに要約させてもらいます。

まずはこちらから ↓

全体疑問文(例: ¿Crees que Carmen {viene / venga}?)と部分疑問文(例: ¿Quién crees que {viene / venga}?)における直説法か接続法かの叙法選択に関して、当論文内で参考にされているメキシコでのデータによると、接続法の使用が全体疑問文で約64%、部分疑問文で約75%となっており、直説法と比べて高頻度で使用されている。

メキシコでは全体・部分に関係なく、疑問文においてかなり接続法が用いられている結果が出ていますね。
実際、ぼくもメキシコ人の友人や同僚が "¿Crees que me puedas ayudar?" のように "¿crees que" の後に接続法を使っているのをよく耳にしますが、スペインでは "no sé si" と同様に "¿crees que" の後に接続法が続いているのを聞いた記憶はないです。ぼく自身もそういう風に言ったことはないので、"No sé si venga." の時と同様に、メキシコで "¿Crees que me puedas ayudar?" と聞いた時にすごく違和感を覚えました。
みなさんはどうでしょうか?

スペインでは "no sé si"、"¿crees que" は直説法との組み合わせが一般的なのに対して、メキシコでは接続法も選択肢の一つとしてしっかり受け入れられているのを実際に経験しました。
ともにメキシコで違和感を抱いたこの接続法の出現について、今回福嶌先生の「¿crees que + 接続法」がどういう理由で成り立っているのかを紐解くこの論文を読めば「no sé si + 接続法」の解明にもつながるかなと想像、そして期待しています!

では、「no sé si + 接続法」の件はひとまず片隅に置いておいて、「¿crees que + 接続法」の話を進めていきます。
福嶌先生は叙法の選択に関してスペイン語ネイティヴに調査をされています。

¿Crees que Carmen {viene / venga}? という文でスペイン人5人とラテンアメリカ人5人(メキシコ・コロンビア・ペルー・チリ2人)に対して実施したインフォーマント調査の結果は以下。
- スペイン人は5人全員が直説法の使用を認める一方で、3人が接続法の使用を認めないと回答
- ラテンアメリカ人は5人全員が接続法の使用を認める一方で、2人が直説法の使用を認めないと回答

スペインとラテンアメリカで見事に回答が分かれています。
そして、ラテンアメリカの人が「直説法を認めない」と答えているのが驚きです!
この場面での直説法の選択はスペイン語圏全域で普遍的なもので、ラテンアメリカ方面ではスペインとは異なり接続法も選択肢の一つとして許容されている、という風にぼくは勝手に考えてましたが、「直説法を認めない」っていうネイティヴもいるんですね。なんだか、限りなくショックに近い驚きで動揺が。。。

続いて、実例を調べてその割合を算出されています。

RAE の電子コーパス CREA‹1›で "Crees que" と "crees que" で検索(2010年3月1日から8月10日の間に実施)し、論題に沿った事例のみを抽出。接続法が選択されている割合が以下。

スペイン - 0.5%(1363例中7例)
ラテンアメリカ - 12.4%(921例中114例)

叙法選択に関して、スペインとラテンアメリカで大幅な地域差が存在しており、メキシコ・キューバベネズエラで特に接続法の使用が好まれている傾向が見られた一方で、アルゼンチンはコロンビアとともに接続法がそれほど多用されていない。

‹1› CREA ... Corpus de Referencia del Español Actual

CREA!卒論で使った!!懐かしい!!!

スペインでは接続法の出現率が0.5%とほとんど使用されていないのに比べて、ラテンアメリカでは12.4%となっており、状況や文脈によって直説法に代わる選択肢としてしっかり根付いていると言えますね。
それにしても、「¿crees que + 接続法」がスペインでほぼ見られないというこの事実はやっぱり安心しますし、スペインのスペイン語を学んだ自分が違和感を抱いたのは間違いじゃなかったと改めて分かってうれしいです! :)

そして、その接続法を使用した場合のニュアンスというのが次の通り ↓

先のインフォーマント調査ではスペイン人2人とラテンアメリカ人2人が vienevenga ともに許容されると答えており、その全員が「接続法を使った場合には内容の実現について疑いが強調される」と回答。
このことから接続法を使うことで「微妙な疑いを含んだ疑問文」になるということが分かる。
すなわち両叙法の差は、内容が「真か偽か確信が持てない」という点にあると言える。

接続法は疑いを表すというのはよく聞く伝統的な説明ですよね。
逆に話し手が確信を持っていれば直説法が使われるわけですが、次のような場合もそれに当てはまるようです ↓

内容が事実ではないと知りつつ問う、いわゆる修辞疑問文‹2›にはスペインでもラテンアメリカでも必ず直説法が用いられる。
そこで表される内容は「偽」、すなわち話し手はその内容が実現しないと考えながら発話する疑問文では直説法が選択される。

‹2› 修辞疑問文 ... 反語と同義。わざと疑問文で述べることによって話し手の意図していることを強調させる。(例: ¿Quién sabe? 「誰が知ってる?→誰も知らない」)

つまり、直説法が選択された "¿Crees que Carmen viene?" という文では、

①話し手が純粋に『カルメンが来るかどうか』を疑問に思い尋ねる場合(純粋な疑問)
②『カルメンは来ない』と思いながら「カルメンが来ると思うか?(いや、来ないね)」のように反語の疑問として用いられる場合(修辞疑問文)

という二つを表すことができるとぼくは解釈します。

次に非常におもしろい見解が述べられています。

現代スペインのスペイン語では接続法が使われることは皆無に近いが、ラテンアメリカスペイン語では接続法の使用頻度が高く、この叙法を使用することで「微妙な疑いを含んだ疑問文」という「純粋な疑問」と「反語」の中間の領域を接続法が担当しているということになる。

すなわち、ラテンアメリカでは「話し手の持つ確信の度合い」によって叙法が選択されると言われています。その度合いが低い順に並べると次のようになります。

 ¿Crees que Carmen viene[直説法]
 カルメンは来ると思う?(純粋な疑問)
   ↓
 ¿Crees que Carmen venga[接続法]
 カルメンは来ると思う?(もしかしたら来ないかもなぁ)
   ↓
 ¿Crees que Carmen viene? [直説法]
 カルメンは来るだろうか?いや来ない。(反語)

「純粋な疑問」では『カルメンが来るかどうか』に関して相手に答えを委ねている、つまり話し手自身は『カルメンが来るかどうか』についての意見は持っておらず、純粋に質問しているだけと捉えると何の確信も持っていないのと同じであるので確信度合いは0%と言えるんじゃないでしょうか?

二つ目の接続法を使用した「微妙な疑いを含んだ疑問文」ではその字義通りに話し手は『カルメンが来るかどうか』に関して来るかもしれないし来ないかもしれないと考えており、確信度合いは0%でなければ100%でもないその中間に位置するということですね。

そして、「反語」では話し手はカルメンは来ないと確信しながら聞いているので、確信の度合いは100%ですよね。

スペインではほとんど見られないものの、ラテンアメリカでは接続法によってこの微妙なニュアンスの違いを表しているということです。意外に(?)繊細に使い分けているんですね。
では、なぜ接続法はスペインではほとんど選択されないのにラテンアメリカでは一般的に許容されているのでしょうか?

ラテンアメリカスペイン語では、alegrarse のような感情を表す語句に導かれる名詞節にも直説法を好む話者が多く、el hechoaunque に続く節では事実を表していれば直説法が用いられる傾向があるなど、一般に接続法の使用の領域がスペインよりも狭いとされる。
現代スペイン語の接続法の出現理由は、①現実性が低いと話者が判断する事柄を表す場合、②現実ではあっても副次的情報として提示していることを表す場合に大別することができ、alegrarseaunque で現れる接続法は②の場合に当てはまる。
このことから、ラテンアメリカでは接続法の複雑な働きを整理して、「現実性の低い内容を表す」という機能に絞って用いる傾向が強いのではないかと考えられる。
すなわち、「微妙な疑いを含んだ」場合の creer 疑問文は、ラテンアメリカスペイン語で使用される接続法の使用領域に当てはまるため、ラテンアメリカでは接続法が選択され得る。

先にも述べましたが、スペイン語学習で「接続法」を学ぶ際にまずなされる説明はこの引用内の①のように「話し手が発話内容(の現実性)に疑念を表す際に使用する」といったものだと思います。その後、スペイン語中級レベルになった時に「実は事実であっても接続法を用いる場合がある」ということを習うので「接続法はヤヤコシイ…」というイメージがスペイン語学習者に植え付けられてしまうのかなと思っています。(ぼくもその一人です。)

alegrarse, el hecho, aunque などは(後半二つは用法や意味によって直説法の場合もありますが)事実であっても接続法を使うとインプットして半ば機械的に使っていましたが、ラテンアメリカでは「事実なら直説法」で「疑念があるなら接続法」というなんともスッキリする使用法が広く認められているということですね。
これこそ、我々スペイン語ネイティヴの多くが接続法に対して思い描いている使い分け方であり、だからこそ「事実でも接続法」というルールに惑わされてしまうのです。

論文の結論としては、ラテンアメリカでは接続法は話し手が発話内容の現実性が低いと判断している場合に出現することが許容されているので、それに当てはまる場合の "¿Crees que" 疑問文には接続法が後続するということです。
つまり、"¿Crees que Carmen viene?" に対して "¿Crees que Carmen venga?" と言うことで、話し手は「カルメンが来る」可能性は低いと思っており、「(私は彼女は来ないと思うけど)君は来ると思う?」という風に丸括弧内を発言しなくともそのニュアンスを文に含ませることができるということになります。


以前、"No sabía que" の後には直説法と接続法のどちらの出現も許容されており、それぞれの法が表すニュアンスの違いについて考察しました ↓

sawata3.hatenablog.com


簡単に言うと、「que 以下の内容を話し手が事実として認めているか否か」によって法の選択が変わるという結論に至りました。
「事実として認めない」というのが接続法の表すニュアンスであり、例えば "No sabía que fumaras." という文であれば「君がタバコを吸ってるなんて知らなかった」という表面的な意味に加えて、「それが本当だとは信じられない」という話し手のスタンスも暗に示すということを学びました。これはつまり、見たり聞いたりして何かを知ったものの、その内容に対して話し手は依然として「疑い」を持ち続けているということです。
この「疑い」が出現させる接続法は、まさに上の論文で見た「ラテンアメリカでの "¿Crees que" 疑問文に出現する接続法」と同じですよね!?

ただ、「No sabía que" + 接続法」はスペインでも見られる構造です。同じ「疑い」のニュアンスを表す接続法の用法なのに "¿Crees que" はどうしてスペインでは使用されないんでしょうかね?
気になりますが、こういう類の疑問はどうやって調べるものなんでしょうか??
まあ、とりあえずここでは、それぞれの法が持つニュアンスと使用地域を学べたので十分です!


一応、Nueva gramática でも調べてみたら "creer que" に続く叙法についての記述を見つけたので、参考までに共有しておきます ↓

動詞 creerCreemos que está informado のように直説法を伴う
しかし、否定文でも疑問文でもない場合での接続法の出現はラテン語に由来し、イタリア語に定着し、中世と古典スペイン語で見受けられる
Nazarec creo que sea, (Arcipreste Hita, Buen Amor); No sé qué me diga, creo que fuera milagro (Alemán, Guzmán I) (§25.5k)

大学の授業でちらっと、creerentender のような普段直説法が続く動詞にも、肯定の場合でも接続法が認められることがあると聞いたことがあります。ただ、その授業の先生が仰っていたのは、「接続法が使用されるのはかなり限定された場合のみだから無難に直説法を使った方がいいし、直説法で間違いになることはないと思って大丈夫」とのことでした。

今回の論文で読んだ通り、ラテンアメリカでは "¿Crees que" 疑問文ではごく一般的に接続法が用いられていますが、中世までは肯定文において接続法が出現していたんですね!

 

【考察】

さて、前回扱った "no sé si" に続く叙法について、今回参考にさせてもらった論文の内容を基に改めて考察していきます。

"¿Crees que" から始まる疑問文において、スペインでは "¿Crees que Carmen viene?" のように直説法の使用が一般的であり、接続法が使われることはほとんどないのに対して、ラテンアメリカでは現実性が低いと話し手が考える場合は "¿Crees que Carmen venga?" のように接続法の使用も可能であるとされています。
一方で、-ぼく個人の経験に過ぎませんが- "no sé si" に続く叙法の選択に関しては "¿Crees que" 疑問文と同様に、スペインでは直説法、メキシコでは直説法に加えて接続法の使用も許容されていると見受けられます。

このことから、"¿Crees que" と "no sé si" という文における地域別(スペインとメキシコもしくはラテンアメリカ)の叙法の選択に関しては共通しており、メキシコで "no sé si" に接続法が続く理由も "¿Crees que + 接続法" の理由と同じだとぼくは考えます。
つまり、話し手が "no sé si" 以下の内容の現実性が低いと思っている場合は、ラテンアメリカでは "¿Crees que" 疑問文と同じく接続法が出現するということです。

"No sé si Carmen viene / venga" という文があるとすると、叙法に関係なく「カルメンが来るかわからない」という意味を根底に持ちながらも、接続法 venga を用いた場合は「カルメンが来る」という内容に関して話し手は現実性が低い、すなわち来るか否かはわからないと考えを保留しつつも、頭のどこかで「もしかしたら来ないかもなぁ」という言外のニュアンスを示しているのではないでしょうか。

もちろん、"no sé si" の場合は「saber が否定されている」という接続法を導く要素を持っているのでその影響もあるかもしれません。しかし、少なくともスペインのスペイン語では si の後に接続法現在が現れないということと、実際に "no sé si" の後に接続法が使用されていないということを考慮すると、ラテンアメリカでの「no sé si + 接続法」は特異であり、話し手の表そうとする言外のニュアンスが接続法の出現の要因となっていると考えられると思います。

 

【今回の結論】

● "no sé si" と "¿Crees que" に続く叙法の選択には地域差が存在しており、スペインのスペイン語では直説法が圧倒的優勢で接続法がほとんど出現しないのに対し、ラテンアメリカスペイン語では直説法と接続法の使用がともに許容されている。

● 接続法は「現実性が低いと話者が判断する事柄を表す」場合と「現実ではあっても副次的情報として提示していることを表す」場合に大別されるという説明があるが、ラテンアメリカでは「事実であれば直説法」「話し手が現実性が低いと判断すれば接続法」のようにスペインでの叙法選択とは異なる傾向も存在している。

● "No sé si venga." や "¿Crees que me puedas ayudar?" という接続法が選択された文では「話し手が発話内容を真か偽か確信していない」というニュアンスを内含していると言える。


メキシコに来てから、スペイン語の奥深さを痛感することが多々あります。
今回のような自分が大学とスペインで学んだスペイン語が海を渡ったこちらの大陸では劣勢であり、こちらの人々の言い方があると。
もちろん、一口で「スペイン語」といってもスペインとラテンアメリカ、さらにはラテンアメリカの国々の間でも多様な差異が存在しているということは、耳にタコができるほど聞いてきましたが、実際に体験してみるとやはり圧倒されてしまいます。

「こういう風には言わない」や「これは文法的に間違っている」と習ってきたことが場所が変わると普通にネイティヴが使っている状況をまさに今体験している最中なので、"自分の中で正しいと思っているスペイン語"という基準が大きく揺らいでいる時期にいます。。。
ぼくの理想としては、メキシコやラテンアメリカ方面のスペイン語の情報を仕入れつつ、今まで習ってきたスペインのスペイン語を維持していきたいと思っています。なので、今でも意固地になって vosotros で話しますし、スペインでの現在完了の用法で話しています(笑)
「郷に入りては郷に従え」と言いますが、自分の芯は忘れずに。もちろん、柔軟性も忘れないのが前提です。


最後に、みなさんもぜひ"CiNii Articlesサーフィン"をして興味の惹く論文を見つけてみてください。ちなみにアラビア語関連の論文もあるのでぜひ! ;)