イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

Ojalá は「神頼み」?

スペイン留学中、ojalá 以外にも願望を表す表現があること学びました。"Así + 接続法" や "Quién + 接続法過去・接続法過去完了" でも表せるんだなぁと。
使われてるのは聞いたことないけど、知識として「知ってる・知らない」ということが大事ですよね。

 

【きっかけ】

スペイン語を学び始めてから半年後、アラビア語の勉強を始めました。
選んだ理由はふたつ。「ラテン文字ではない言語」と「歴史が長く、他言語に影響を与えた言語」であるから。

ラテン語を起源に持つロマンス諸語以外の言語に触れることで、まだ知らない「言語学上の概念」に出会えると思いました。アラビア語でいうと例えば、男性か女性によって動詞の活用が変わる(二・三人称の単数と複数でともに男性と女性でそれぞれ活用が異なる)ことや、単数・複数に加えて「双数形」という形があること(そのため、現在形の活用が6個のスペイン語に対してアラビア語では13個!)、他にも英語のbe動詞にあたる動詞がないので定冠詞や代名詞を駆使して主語と述語を区別する、など思い付くものを書いていけば枚挙に暇がありません。

そして、アラビア語を自分で勉強していく中で、アラビア語先行でスペイン語への影響の大きさを知ることがあります。
一年生の頃、スペイン語版のドラえもんをよく観てました。そこでいろいろと学んだのですが、そのひとつが "¡Hala! (=Ala, Alá)" です。
これはのび太が驚いたときに叫んだ言葉なのですが、これを聞いたとき、スペイン語以上にアラビア語に熱を注いでいた時期だったためか、イスラムの神「アッラー」から来ているのかなと思いました。ちょうど英語の "Oh my god" やスペイン語の "Dios mío" と同じで感嘆詞に「神」が用いられるように。

その後、スペイン語一年生の最後に接続法を習って ojalá という表現も知ります。その時にものび太の "¡Hala!" の時と同様に、ojalá という言葉を耳にした瞬間にも「んっ?もしかして。。。?」と直感が疼きました。

二回生、三回生になって、「スペイン史におけるアラブ世界との交流」や「スペイン語におけるアラビア語の影響」というものを後に授業で学ぶことになりますが、そういったことを知らないまま勉強を始めて、スペイン語への影響の大きさを後に知ることになるとは。「スペイン語を専攻しながらアラビア語を独学する」というのは、もはや運命付けられていたとしか思えないです。

 

【語源】

まずは RAEDiccionario de la lengua española で ojalá を引いてみると、語源欄には次のように書かれていました ↓

Del ár. hisp. law šá lláh 'si Dios quiere'.(ojalá)

※ š は /ʃ/ (sh の音) を表します。

しっかり語源の記載がありました。law šá lláh というアラビア語から来ているとありますが実はこれ、アラビア語をかじってたら「ビビビッ!」と来ます(笑)
(ちなみに、転写の中の w は u と発音するので、law の部分は「ラウ」となります。)
この表現自体は聞いたことないですが、それぞれの単語から意味は分かります!外国語を学ぶ上でうれしい瞬間の一つですね :)

そして、この語源についての記述に関して、アラビア語を勉強している身からしたら、あの信頼と実績十分(少なくともぼくの中では。)の RAE ですが一つ「異議ありっ!」です。それは最後に。

まずは少しアラビア語の話をします。もちろん、後々繋がってくるのでお付き合いを。

 

アラビア語の表現】

まずはアラビア語の世界でよく耳にする表現を3つほど紹介します。

بسم الله /bismillah/
"En el nombre de Dios"
「神の御名によって」

何か物事を始める時の意思表示として使われて、「よしやるぞ」という気持ちのスイッチを入れるときに用いる表現です。「いただきます」やテスト開始の際に気合を入れたり、心を落ち着かせたりするために使われます。さらに、ドアを開けて家を出る瞬間や車のエンジンをかける瞬間にも口にされるそうです。

الحمد لله /alħamdulillah/
"La gloria a Dios"
「賞賛・感謝は神に(のみ属す)」

「おかげさまで(元気です)」や「ごちそうさま」、そして湯船に浸かって「あ〜極楽極楽」にもこの表現が用いられます。あと、例えば試験に落ちた時に「今回の試験、全然できなかった...でも、アルハムドゥリッラー、次は気持ちを入れ替えてがんばるわ」といった風にも使われるそうです。
なかなかその本質が見えてこない表現ですが、この表現の背景には、良いことも悪いことも全ては神の定めであるというイスラムの世界観があり、人間の力は微々たるもので、その限界を認識しながら謙虚に生きる、この表れが「ビスミッラー」であり「アルハムドゥリッラー」なんだそうです。

ما شاء الله /māsha'llah/
"Lo que quiere Dios"
「(それは)神が望んだことである」

直訳したら分かりにくくなってしまいますが、簡単にいうと「いいね!すごい!」といった感じです。アラブの人たちが何か美しいものを見たりすばらしさを感じたり、良い知らせを聞いたりしたときに自然と口からこぼれる表現です。「マーシャアッラー、あなたのアラビア語は上手ですね」とか「君は日本から来たの?マーシャアッラー」といった感じです。


イスラム教はご存知の通り一神教ですので、アラビア語における「神」とは「アッラー(Alá)」を指しています。つまり、上の表現の Dios は全てアッラーに捧げる言葉であり、イスラミックなフレーズということです。アラブ人やイスラム教徒の人たちが本当によく口にする表現なので覚えていて損はないです。

文法的な話になりますが、イスラムの神「アッラー」とはスペイン語に直訳すると el Dios です。つまり、アッラーというのは「イエスキリスト」や「釈迦」といった神様の名前ではないということです。
上でも述べたように一神教ですので、「神様」といったらイスラムの世界では「アッラー」しかいないので el Dios で事足りるのです。

またご存知の通り、スペイン語al- から始まる単語はアラビア語起源であり、それは al- がアラビア語の定冠詞であることに由来するのですが、「アッラー」のローマ字転写は /allah/ であり、頭の alel Dios の el にあたる定冠詞なのです。
日本語だと「ア」にアクセントを置きがちですが、al- は定冠詞であり、単語の核は al- の後の部分であるため、スペイン語Alá を見ても分かる通り、アクセントは最終音節に位置するのです。

ここで、改めて紹介したアラビア語の表現3つを見てもらえば明確ですが、全て /-llah/ という形で終わっています。ここまでくれば、言わずもがなですよね。
ojalá がなぜ最終音節にアクセントが来るのかというと、その - は Alá を示しているからなのです!

 

アラビア語の文法】

興味も読む気も持ち合わせていないかもですが、、、

スペイン語では「条件節」は si が節の頭に来て、時制や法の違いによってその実現性の程度を区別するわけですが、アラビア語ではこの実現性の程度の違いを後続する時制や法によってではなく、「条件節の si」にあたる3つの接続詞によって区別します。

إذا> /'iðā/ (=si + 直説法)
実際に起こり得る事態を想定して述べる場合に用いる。

إن> /'in/ (=si + 直説法)
上の接続詞と同じ意味を表すが、現在はあまり使われず、定型表現で使われる。

لو> /law/ (=si + 接続法過去)
実際には起こり得ない事態を仮定して述べる場合に用いる。

 

【考察】

ようやく本題です。
De Chile.net というウェブページの DEEL からの引用です。

イスラム教徒であるアラビア語話者が使用する表現として
لا أوحش الله /lā 'awħasha llāh/ がある
これは "haga Dios que no se sienta nostalgia de (tal cosa)" や "no (nos) aflija‹1› Dios sin (tal cosa deseada)"、そして "permita Dios que (suceda tal cosa)" といった意味を持つ
لا أوحش الله /lā 'awħasha llāh/ という表現に母音融合‹2›が起き、
لو شاء الله /law shā' llāh/ という形になり、これが oxalá という形でスペイン語に入り、現代スペイン語における ojalá という形になった(OJALÁ)

‹1› aflijar ... 苦しめる; 悩ます
‹2› 母音融合 (contracción) ... 同一語内で隣接しながらも別の音節に属する2つの母音が二重母音となり、1音節として発音すること (=sinéresis) 例)pa-se-o > pa-seo

まずは、ここで言及されている言語学・発音学上の変遷をまとめてみます。

 ① /lā 'awħasha llāh/ لا أوحش الله
    ↓
   /lā 'awħasha llāh/「母音融合」
    ↓        &「語中音消失」
 ② /law shā' llāh/ لو شاء الله
    ↓
   /law shā' llāh/「語頭音消失」
    ↓
 ③ /oʃalá/ oxalá
    ↓
 ④ /oxalá/ ojalá

③と④の発音に関しては便宜上、上記のように書きました。
oxaláオシャラojalá はオハラです。

①→②
頭の /lā 'aw.../(ラー アウ...)で母音の a が重なっているので「母音融合」という発音上の現象が起きます。
そして、/'awħasha/(アウハシャ)の ħa が消えていますが、これは語中音消失 (síncopa) と見なして良いのではないでしょうか?
語中音消失とは、一つの単語の中の音がある理由によって消失することです。その理由というのは、ある単語が形成される歴史の中で消失する場合「natividadnavidad」や口語における表現「cantadocantao」、言い間違い「deberíadebría」など様々です。

②→③
まずは、لو شاء الله /law shā' llāh/ の語頭の la が消失していますが、先ほどの語中音消失に対してこちらは語頭音消失 (aférisis) が起きていると考えます。
これは、一つの単語の中での語頭部分の省略「autobúsbus」や直接発音には関係はありませんが語頭の消失「psicologíasicoñogía」のことです。
そして、先にも述べましたが、転写内の w は u の発音を表しています。この部分が③の oxalá の o になったわけですが、実はアラビア語(ここではフスハー: コーランで使われている「正則アラビア語」のこと)には母音が a, i, u の3つしかないため、外来語などの母音 ei (y) で、ou (w) で代用するのです。
その影響なのかは不明ですが、よくアラビア語のローマ字転写で i, u の代わりに e, o が使われているのを目にすることも多々あります。ですので、そういったアラビア語からスペイン語への文字の転換の流れの中で、/law shā.../ の w(ウ)が o になったのではないかと推測します。

③→④
まずは、②内の /ʃ/ (sh の音) が x で表されていますが、これは昔のスペイン語では x はシャ行の音を表していたからです。(大学時代にこの話を聞いた記憶がありますが、詳細はちゃんと調べてから次の記事で詳しく書きます!
③(オシャラ)から④(オハラ)という発音になったのは、、、どういった理由なんでしょうか?
現代では x は単語によって /x/ (méxico), /s/ (xilofón), /(k)s/ (extranjero) の音素を表しますが、スペイン語の歴史の中のあるタイミングで /ʃ/ (sh の音) を表す x という文字の発音上の役割が変わって、現在のように /x/ (jota の音) を表すに至ったのではないかと。つまり、ぼくの勝手な推測では /x/ (jota の音) を表すようになった x と元々その音素を表していた j の文字が一つの言語内に並存するようになったため「混乱に近い混同」が起き、その渦中で x から j に置き換えられ、そのまま j の表す音素に従って /oxalá/ という発音に変化していったのではないでしょうか?
邪推ですかね?とりあえず、x の持つ音素の歴史を徹底的に調べる他ないですね。次回の記事に期待してください。

ちなみに、この引用文の最後に「ポルトガル語では oxalá の形を維持している」とありました。確か、ポルトガル語では x は /ʃ/ の音も表したので「オシャラ」という元のアラビア語に近い形が残ってるんですね。


また、こちらもよくお世話になっている Castellano Actual というページで ojalá に関する記述がありました ↓

DRAE (2001) ではその起源を law šá lláh としており、その訳を "si Dios quiere" と記載しているが、DRAE (1925) では "¡Quiera Dios!" という訳が採用されている。またこの訳は wa-šā' lláh が語源であるとする Diccionario crítico etimológico (1991-1997) においても採用されている。さらに in sha Allah "Dios quiera" や ua xa aláh "y lo quiera Dios" をその語源だと主張する識者もいる(Ojalá)

このように、ojalá の語源となるアラビア語の文は完全にはっきりしているわけではない、というのが現時点での議論の到達点らしいですね。
また、最後の部分におもしろいことが書かれていました。

語源の観点から考えると、ojalá を用いた発話内容の実現に関しては、発話者自身の意思ではなく、Aláスペイン語では Dios と翻訳される)の意思によって左右されるものである、という考えの下で ojalá という表現は用いられるべきである
しかし、話し手がその起源を認識していないために、"Ojalá Dios quiera que no llueva hoy" といった文を頻繁に耳にする(Ojalá)

すなわち、語源的には ojalá 自体に Alá (=Dios) が含まれている、ということを知らないために "Ojalá Dios quiera que..." といった Dios の重複が見られることが多々あるということですね。
確かに、言ってしまえば、"(Que) Dios quiera que Dios quiera que no llueva hoy" ということですもんね。一文に神様が二柱も登場してますが、一神教であるイスラム教の人が聞いたら何て言うんでしょうか?(笑)

 

【まとめ】

ojalá の起源はアラビア語であるが、その語源となるフレーズの特定には至っていない。その本来の意味(=語源的に)は「神(アッラー)の思し召し」であり、ojalá の - はイスラムの神「アッラー (Alá)」を指しているため、第三音節にアクセントが位置する。


最後に、あの我らが RAE に声高らかに「異議ありっ!」と唱えた件についてですが、【アラビア語の文法】で書いた通り、 si にあたるアラビア語の条件節を表す接続詞の一つである law は実際には起こり得ない事態を仮定して述べる場合に使われます。ですので、DRAE には 'si Dios quiere' という訳が載っていますが、厳密に言わせていただくと "si Dios quisiera" の方がアラビア語本来のニュアンスは表せるのです!!


言ったった!RAE にイッタッタ!
アラビア語勉強しててよかったー!!

RAE へのモノ申しは置いといて。
今回はスペイン語よりアラビア語メインといった感じになってしまいました。。。が、改めてアラビア語を選んで勉強していることがどれだけスペイン語を学ぶ自分にとってプラスであるかということを感じました。
あの時の「んっ?アラビア語のニオイがするぞ。。。もしかして。。。?」という感覚は忘れられないです。なんだか、アラビア語学習を通して"言語的嗅覚"が高まった気がします。

スペイン語を専攻しながらアラビア語を独学するというのは神(アッラー)の思し召しだったのかもしれません。

ありがとう、アラビア語 ;)