イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

¿genjibre?

日本語の「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の書き分けに迷うことありませんか?
これら四つの文字を合わせて「四つ仮名」と呼ぶそうです。

例えば、「地(ち)」という文字。基地は「き」だけど、意地は「い」といったように濁る場合は「し」に点々となります。また、「妻(つま)」という漢字が含まれる「人妻」と「稲妻」の振り仮名は「ひとま」と「いなま」。単純に「つ」に濁点を付けて終わりではないという一筋縄ではいかせてくれない日本語の現代仮名遣いのルール。やっぱり、日本語もムズイですよね。

ちなみに、文部科学省の下に位置する文化庁がこの現代仮名遣いを含む「国語施策」と呼ばれる日本語の改善・普及に務めているようです。スペイン語でいうところの Real Academia Española と同じ立ち位置ですね。

 

【きっかけ】

ご存知の通り、メキシコはスペインと違って、c (+e, i) と z を /θ/ と発音せず、s と区別せずに全部 /s/ で発音します。なので、メキシコ人が c, z と s を混同して書いてるのによく出くわします。

「あ、間違ってる」とは思いますが、発音上の違いがなければ区別するのが難しいということは自分の母国語の四つ仮名で経験済みなので、間違いがあっても見て見ぬ振りですヨ ;)
ただ、公共機関とかの文章の中にも間違いがあったりするので、さすがにそれは気を付けなさいヨと思いますが。


いつかスペインで知り合ったヒメネスさんに "¿Tu apellido se escribe con la g o con la j?" と聞くと "Con la x." という驚きの答えが返ってきたことがあります。
ぼくはそれまでスペイン語圏でよくある苗字の「ヒメネス」は Giménez か Jiménez しか知らなかったので、まさか x で書く Ximénez さんが存在してたなんて!めちゃくちゃカッコええやん、名前に x の文字入ってるって!としか当時は思いませんでしたが、今考えればこれらの /j/ の音を表す三つの文字 g, j, x はなんだか日本語の四つ仮名のような関係性に思えます。

今回はそんなヤヤコシイ /j/ の音「無声軟口蓋摩擦音 (frictiva velar sorda)」の正書法について調べてみます。

 

【発音の表記法について】

考察の前に一点。
今回は RAE から久方ぶりに Ortografía de la lengua española を開いたのですが、調べている中で一つ疑問が。

この Ortografía の中では jota の "jo" の子音の音が /j/ という風に書かれていました。しかし、例えば小学館西和中辞典[第2版]では [xó.ta]白水社現代スペイン語辞典改訂版でも [xóta] のように x の文字でこの音が表されています。この違いはなんだろうと思って調べてみると次の参考文献を見つけました。

題 : 「IPA国際音声記号)の基礎 -言語学・音声学を学んでいない人のためにー」
著者 : 木村琢也(清泉女子大学)・小林篤志女子美術大学
掲載 : 日本音響学会誌66巻4号(2010), pp.178-183
発行 : 2010年

この資料によると、「音声表記」は西日辞典のように角括弧([ ])で挟んで示す一方で、「音素表記」は Ortografía のようにスラッシュ(/ /)で挟んで示すようです。
専門的な部分はできるだけ抜きにして、具体例を見ながら説明します。

論文内にある、漢字かな混じり表記で「あらゆる現実をすべて自分の方へねじ曲げたのだ。」という日本語文の「あらゆる現実を」という冒頭部分に対するそれぞれの表記を見てみましょう。まずは音声表記から ↓

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角括弧内の文字がコピーできないので写真で抜粋(pp.182より)

文字の下に補助記号と呼ばれる記号なども用いて、言語に関係なく、人間が言葉として発する音を純粋に音声学的に示すもので、これは音声表記の中でも「精密表記」と呼ぶそうです。見ての通り複雑で煩雑ですが、これほどまでの詳細が不必要であれば次のような「簡略表記」を用います ↓

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同上

精密表記と比べてだいぶ見やすいですが、それでも見慣れない文字や記号がありますね。この音声表記では国際音声記号 (IPA: Internatinal Phonetic Alphabet) という文字を用いて表記します。

これら二つに対して、音素表記はというと ↓

/arajurugeNzituo

こちらは簡単に言うと、ある一つの言語における音を慣習的に表したものとなります。
例えば、ここでは「あらゆる」の「ゆ」の音は /j/ と表記されていますね。この文字は音声学上では「硬口蓋接近音」と呼ばれる日本語のヤ行の音を表します。しかし、同じ /j/ ですが、スペイン語では RAE の Ortografía のようにヤ行の音ではなく、jota の音を表します。
このように音素表記というものは言語によって変わるものであり、その言語の慣習に従って表記されるものです。

ちなみに、アラビア語にもスペイン語j と同じ発音をする خ という文字があります。ぼくが使っているスペイン語で書かれたアラビア語の参考書ではこの音を表すために j の文字が使われています。例えば ↓

خوخ (jawj「ハウフ」)  melocotón

この音は、日本語もしくは英語のアラビア語参考書であれば kh と翻字されていることが多いのですが、これはこれらの言語において j の文字に jota の音を表すという認識がないために用いられている表記です。このように音素表記というものは対象の言語の音を表すために用いられる言語によっても変化するものということです。

ただ、アラビア語にはスペイン語にはないジャ行の音も存在していて、スペイン語の参考書ではこの音もまた j の文字で表されています ↓

جميل (ja.mīl「ジャミール」)  bonito

そのため、この参考書では "j española de jamón" と "j inglesa del nombre James" という風に紹介していますが、発音を表す際はともに j の文字を使用しています。スペイン語では y はジャ行に似てるんだから、 ya.mīl のようにして y を使ったらいいのに、とは思いますが。
まとめると、角括弧([ ])を用いる音声表記はゴリゴリの音声学で専門的であるのに対して、スラッシュ(/ /)を用いる音素表記は音声学を学んでいなくも分かるようにしてくれている表記ということになります。


音声学的には jota の音は「無声軟口蓋摩擦音」と呼ばれ、x の文字が充てられています。つまり、角括弧と x の文字で表記している西和辞典は音声表記(簡略)を採用しているということになります。
ただ、下での Ortografía からの引用を見れば分かるのですが、実は角括弧([ ])を用いて [méjiko] のように発音を表記している場合もあります。

アレレ。。。?
角括弧に挟むなら j じゃなくて x を使うんじゃなかったの?
結局は RAE はあまり気にしていないということ?(笑)

あくまで専門はスペイン語学ということで、RAE もそこまで厳密に使い分ける必要がないと判断したのかもしれませんね。
長々と書いてしまいましたが、外国語を学ぶ身として発音、ひいては音声学は切っても切り離せない学問だと思うので、この情報がいつかどこかで役に立つことを願っています。

 

【考察】

それでは、まずは今回の主題である /j/ の音に関する基本的なところから。

スペイン語において /j/ の音素を表す文字は jg である
x によって /j/ の音素が表されることがあるが、その場合は昔の綴りの名残で topónimo(場所の固有名詞)または antropónimo(人名の固有名詞)の中に現れる(§6.2.2.3)

実は以前書いた記事の中で x の音素の歴史について考察しているので、よければご一読ください :)

sawata3.hatenablog.com

 
x は現代では例外的にしか /j/ の音を表さないということで解決でいいでしょう。
一応参考までに、jx の互換性について述べている項があったので引用します。

México/Méjico [méjiko]、Texas/Tejas [téjas] のように、xj の文字がともに /j/ の音素を表す例外的なケースを混同してはいけない
スペイン語圏全土でともに使われる anexo [anékso] と anejo [anéjo]や、一般的に用いられている luxación [luksasión, luksazión] とスペインでは使用されていないがアメリカ大陸のいくつかの国では使われている lujación [lujasión, lujazión] のケースもある
一方で、prójimo [prójimo](他人、キリスト教的隣人)と próximo [próksimo](近い、次の)の組み合わせのように jx の文字が異なるとその意味も異なる単語もある(6.2.2.3.2 Advertencia)

anexo, anejo は「付属文書」、luxación, lujación は「脱臼」です。
Diccionario panhispánico de dudas を引くと anexo について次のように書かれていました ↓

「付属文書・添付書類」という意味では anejo という形も有効であり、名詞よりも形容詞としての使用の方が頻繁である
«Encendía la luz del cuarto de baño anejo a la alcoba» (Azancot Amores [Esp. 1980])
スペインでは anexo, anejo の両方の形が使用されている一方で、ラテンアメリカでは anexo の方が好まれている(anexo -xa. 1.)

メキシコでは実際に、契約書関係の別紙の付属文書は anexo と呼ばれています。anejo が使われているのは一度も見たことないです。
一方、「脱臼」の方はメキシコ人の友人に聞いてみると、luxación しか使わないとのこと。lujación は聞いたことないとのことでした。


さてさて。
今回のテーマの問題はというと、/je/ と /ji/ の音の表記は ge, gi なのか je, ji なのかということ。

スペイン語一年生の時に、野菜を表す単語テストで生姜を genjibre と書いてバツをもらったことがあります。正しくは jengibre ですよね。
ブレ」の /j/ の音のどっちかが g でもう片方が j で書くのは覚えていたものの、gente や genial といった "gen" から始まる単語をいくつか覚えたばかりで、逆に "jen" から始まる単語を知らなかったので、「スペイン語では傾向として "gen" の方が多いのかな」と素人なりに推測しました。が、結果は惨敗。

実際のところ、"jen" から始まる単語は小学館西和中辞典[第2版]には4語、白水社現代スペイン語辞典改訂版に至っては2語しか載っておらず、見事にこの jengibre が超少数派であったという事実。この「希少な "jen" から始まる」というインパクトの強さのおかげでこれ以降は間違えることはありませんでしたが、同時にこの /j/ の音を表す gj の文字の書き分け方に疑問を持つことになりました。

ちなみにですが、なんとなんと Dpd に次のような記述がありました ↓

ajengibre という現在使われていない形より jengibre という形が望ましい
genjibre, gengibre, jenjibre という表記は間違いである(jengibre)

やっぱり、jg という二つの文字が同じ /j/ の音を表すというのが混乱を招くようですね。

何か手掛かりとなるものはないのでしょうか?では、Ortografía を見てみましょう。

音素 /j/ は母音 e, i の前では j (jefe, jinete) もしくは g (gente, gitano) の文字で表されるが、その二つの母音の前にどちらの子音が現れるかは、ほとんどの場合その語源に依る
大抵の場合、母音 e, i の前に g が来る単語はその語源となる単語でも同じように書かれている(もしくは、由来となる他の言語における g に当たる文字 : ギリシャ文字のガンマ‹1›)
congelar (ラテン語 congelāre), genético (ギリシャgennētikós), magenta (イタリア語 magenta), gibón (英語 gibbon), higiene (フランス語 hygiène), etc.(§6.2.2.3.1)

‹1› ギリシャ文字のガンマ (gamma griega) ... Γ(大文字)、γ(小文字)。ガ行の音を表す。

gj の書き分けは「語源に依る」か。。。

だいぶムリがありませんか?語源を調べてる暇あったら、さっさと辞書引きます。
しかも、続きにはこう書かれています ↓

しかし、語源は必ずしも jg を決定づける要因というわけではない
jirafa (イタリア語 giraffa) や、もしくは借用元であるプロヴァンス語‹2›、フランス語、カタルーニャ語では g で書かれるがスペイン語では j で書かれる単語もある : homenaje (プロヴァンスhomenatge), menaje (フランス語 ménage), viaje (カタルーニャ語 viatge), etc.
(注解)
-age [áʒ] で終わるフランス語からのすべての借用語スペイン語では -aje [áje] と表記される
chantaje (chantage), tatuaje (tatouage), etc.(§6.2.2.3.1)

‹2› プロヴァンス語 (provenzal) ... フランス南部のプロヴァンスで話される言語。

語源は必ずしも j か g を決定づける要因というわけではない」んかい!
そんで、フランス語で -age で終わる単語はスペイン語では -aje と書かれるって言われても、どの単語がフランス語から借用されているか分らんから結局のところ、最初から辞書を引いた方が早いってことじゃないですか。

そして、この同じ引用章の最後に衝撃の文言が。。。 ↓

e, i の前で同じ /j/ の音素となる jg の文字の一致は、綴りに関して多大な迷いや疑問の元となっており、これに関しては最終的には辞書で調べることでしか解決できない(§6.2.2.3.1)

最終的には辞書で調べることでしか解決できない」。。。だと。。。?

なす術はないので辞書で調べましょう、というのが RAE の結論。「DRAE でも使って調べてください」と言わんばかりの RAE のセルフプロモーションで締めています。
結局、外国語学習は毎日コツコツと、ですね。

ただ、一応続きには次のように書かれています。

しかし、jg の文字の選択に関して役立つ内容を次に記す

e, i の前で /j/ の音素を j の文字で表す場合
eje- から始まる語、-aje, -eje で終わる語、-jero/a で終わる語、-jear で終わる動詞、-jería で終わる名詞

e, i の前で /j/ の音素を g の文字で表す場合
語中の場所にかかわらず inge、語中の場所にかかわらず gen、-gencia, -gente で終わる語、語中の場所にかかわらず gest、アクセント有り無し関係なく gia, giogene-, geni-, geno-, genu- で始まる語、legi- で始まる語、-gésimo/a, -gesimal で終わる語、-ginoso/a で終わる語、-ger, -gir で終わる動詞

(§6.2.2.3.1)

3ページ半に渡って色々と書いてくれてはいますが、ほとんどのケースで例外があるようなので正直あまり役に立つとは。。。:'(
なので、すべてを詳細には引用しません。結局のところ、「辞書で調べることでしか解決できない」の言葉通りです。

 

【今回の結論】

● 母音 e, i の前での gj の書き分けは語源に依る。しかし、語源は必ずしも jg を決定づける要因というわけではないため、最終的には辞書で調べることでしか解決できない。


スペイン語を学び始めてからちょうど6年が経ちました。まだまだ半人前ですが、初めて聞く単語であっても経験から gj のどっちで書くかほとんど分かるようになりました。
もちろん地名や人名などの固有名詞の場合は全然分かりませんが、ネイティヴに尋ねても同じように困り顔をするだけなので、知らなければ分からないということです。日本語でも固有名詞の漢字は書けないし、読めないこともあるのと同じ感じですね。

今回はそこまで益のない回となってしまいましたが、大切なことを思い出させてくれましたね。

「外国語学習は毎日コツコツと」

横着をせずに辞書を引く。これが鉄則でした。Gracias :)