イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

未知数 X(前編)

今回の表題は「未知数X」。
ワクワクするタイトルではないでしょうか?ですが、それは一旦置いておいて。
昔、大学の授業で先生が何気なくこう言いました。

セルバンテスは元々 Don Quijote ではなく Don Quixote と記し、/don kiʃóte/ と発音されていた」

ドン・キショーテ。。。??(キホーテになってよかった!)
何の授業でどういった内容だったかは全く覚えていませんが、確か授業とは直接関係のないこのセリフだけなぜかすごく鮮明に覚えています。

前回の記事で ojalá の語源について迫りました。
/law shā' llāh/ → oxaláojalá という変遷を辿り、この三段階の変化の中で sh /ʃ/ の音が x の文字で表された後、j に替わったということを知ったんですが、前回の記事を書いている途中で、先生がさりげなく言った上の言葉をふと思い出しました。

なんだか点と点が繋がりそうな気が。。。

 

【きっかけ】

そして、もうひとつ。3つ目の「点」であり、今回のテーマの直接的なきっかけは過去に見た動画です。
今から5年前、アラビア語を勉強し始めた頃、アラビア語関連の記事や動画を漁っていた時にある興味深い動画をたまたま見つけました。その内容は、

「なぜ未知数をxで表すのか?」

考えたこともなかったです。。。
たしかに、「怪盗X」とか「容疑者X」のように未知で未確認なものに使われますがその由来は何なのか?
動画の内容を大まかに言うと、、、

① アラブ世界の数学書が西洋に導入
② 「未知数」として شيء /shay'un/ の使用
③ 翻訳上の問題に直面
ギリシャ文字χ(カイ)で代用

「またアラビア語。。。そしてギリシャ語。。。」
そう思われましたかもしれませんが、どうかお付き合いください。
上の大まかな要約だといろいろと疑問が湧き出てきて溢れちゃいますが、、、

ドン・キホーテ」、「ojalá」そしてこの「未知数X」という3つの点が揃ったことで、ぼくの中では一本の線がぼんやりと見えてきました。なんだか世紀の大発見をしてしまいそうな。。。乞うご期待です!

 

【考察】

まずは「なぜ未知数をXで表すのか?」という動画の内容を詳しく見ていきます。
以下、鉤括弧 +下線は動画からの引用とします。(原文のままではないです)

① アラブ世界から西洋に数学書が導入

世界史を勉強した方ならご存知のはずですが、「代数学 (álgebra)」に関する書を残したアラビアの数学者フワーリズミーに代表されるように、インドから伝わった数学を基礎としてアラブ世界で数学は発達しました。その後、「11-12世紀にアラビアの数学書が西洋、その中でも特にスペインに伝わり、これを機にヨーロッパの言語に翻訳する機運が高まった」そうです。
想像がつくと思いますが、この当時はまだレコンキスタ前ですので、アラブ勢力がスペイン国内に侵入している時期のためヨーロッパの中でもスペインから入った、のではないかと思います。

② 「未知数」として شيء /shay'un/ の使用

動画の中では、文章で表されたルートの解き方が一例として紹介されています。

f:id:sawata3:20190808140907p:plain

赤文字が「未知数」を表しています

ネットで調べてみると、フワーリズミーの「代数学」では + や - といった数学の記号は使われておらず、数式の代わりに文章で説明されていたそうです。この書が著作された9世紀にはまだ数式は発明されていなかったんですかね?
文章で説明されていたアラビアの数学書において「未知数」として使用されていたのが、「英語の something にあたる شيء /shay'un/(シャイウン)という単語で、これに定冠詞 al- をつけて『その未知のもの』という意味にした」という流れらしいです。
なるほど、そういう風に表していたんですね。

てか、شيء /shay'un/ (シャイウン) って現代アラビア語でも普通に使われてる単語です!およそ1200年前の書物で今と同じ言葉が見られるってトンデモナイことじゃないですか!!
調べてみたら、日本で同時期に当たる9世紀の書として空海の風信帖(ふうしんじょう)というのがあるらしいですが ↓

f:id:sawata3:20190808141002j:plain

ちゃんと書いてヨ...

読めますか?これが1200年前の日本語。。。
アラビア語ネイティヴが1200年前の書物をどれだけ理解できるかは明確には分かりませんが、少なくとも単語単位では理解できると思うので、やっぱりアラビア語には歴史的そして言語的ロマンがあります ;)


本題に戻って、③ 翻訳上の問題に直面

アラビアで発達した数学を取り込もうとしたはいいものの、アラビア語の発音とロマンス諸語の発音の違いが大きく、「アラビア語の多くの音がラテン文字でうまく表せなかった」そうで。
そんな中、代数学で不可欠な「未知数」として使われている شيء /shay'un/ を翻訳(=西洋数学で未知数を示す文字を選択)するにあたって、「スペインの翻訳者たちはスペイン語には sh の音が存在しない、という問題に直面」してしまいました。
たしかに、スペイン語にはシャ行の音はないですよね。英語の show も「チョウ」とスペイン語ネイティブ(少なくともメキシコ人)は発音しており、日本人にとっての英語の th のように難しいんでしょうか?

ギリシャ文字χ(カイ)で代用

そこで彼らは慣例にならい、規則を作った」そうで、「代わりに古代ギリシャ語の ck の音に当たる χ(カイ)を用いて表し、その後当時のヨーロッパの共通言語であるラテン語に翻訳される際にギリシャ文字χ をそのままラテン文字x に置き換えた」と動画内のスピーカーは言っています。
しかし、腑に落ちないのは「そこで彼らは慣例にならい」の部分です。ここで言及している「慣例」がどういったものかの説明はされていません。そのため、どうして突然ギリシャ語が出てきて、スペイン語に訳そうと言っているのにギリシャ文字χ が代わりに使われるに至ったのかが不明です。。。

調べてみると、ギリシャ文字の χ(カイ)は古代ギリシャ語では /kʰ/ という音素を表していたようです。中国語・朝鮮語タイ語などに存在する音素らしいですが具体的にどういう音なのかはわからないです...すみません...)
そして、紀元後数百年にその発音に変異が起きて、/x/(スペイン語j の音)と e, i の前では /ç/(日本語の「ひ」の子音)の音を表すようになったそうです。
現代ではともに同じ発音を表すことから、ギリシャ文字の χ(カイ)が後のスペイン語x の文字になったという可能性は理解できますし、「そのままラテン文字x に置き換えた」という部分も納得はいきます。
しかし、その前の「古代ギリシャ語の ck の音に当たる χ(カイ)」が引っ張り出された理由がやはり見えてこないです。。。


さて、気を取り直して一度「オシャラ」の話に戻りましょう。
前回の記事では、アラビア語の表現がスペイン語に入り「オシャラ」という形になったのが具体的にどの時期なのかについての記述を見つけることができなかったので不確かなままです。少しでも可能性のある時期を絞り込むためにアラビア語スペイン語の成立時期を一度見てみるのはいかがでしょうか?
何をもってして一つの言語の成立と定義するかはよく分からないのでここではナントナクでいかせてください :)

アラビア語は7世紀前半にアッラーの御言葉として「コーラン」に使われています。この時用いられたアラビア語は現在でも使われているものであるので、すでにこの時期には存在・成立しているということは明白です。なので、ここではとりあえずアラビア語の成立時期は7世紀前半とします。

一方のスペイン語
そういえば、スペイン語はいつ頃生まれたんでしょうか?そういえば、ちゃんと調べたことなかった。

。。。

いくら調べても全然情報が出てこないです。やっとのことで見つけたのがこちら ↓

スペイン語の起源と発達についての覚書 -スペイン語以前から中世スペイン語まで-」田林洋一(言語センター広報 Language Studies 第21号(2013.1) 小樽商科大学言語センター)

こちらの論文には、「研究者によって意見がまちまちであり、一定していない」としながらも「1977年にスペインでスペイン語成立千年祭が催された」という記述がありました。つまり、977年スペイン語が生まれた年と見なされているようです!全く知らなかったです。
まあ、改めて言いますが、何をもって一つの言語が生まれたとするのか、成立したとするのかは疑問ですが、気になる人はこちらの論文を読んでください。ぼくは上の情報だけで十分です(笑)

まとめると、この二つの言語が現代まで続く言語の形を成したのが7世紀と10世紀ということを踏まえると、少なくとも ojalá の起源となるアラビア語スペイン語に入り、「オシャラ」が生まれたのは10世紀以降と推測できます。
さらに、冒頭で述べた「ドン・キショーテ」の話。初版が出版されたのは1605年ですので、この年までは確実に x の文字は /ʃ/ の音素を表していたんではないでしょうか?

そして、動画で言われているアラビアの数学書がスペインひいてはヨーロッパに入ってきて翻訳される時期というのが11-12世紀。
この時期は、スペイン語が成立した10世紀と、「ドン・キショーテ」のように /ʃ/ を x が表していた1605年の間に当てはまります。

要するに、動画内では「(翻訳する当時)スペイン語には sh の音が存在しない」と言われていますが、その時期のスペイン語には現在とは異なり、sh の音を表す文字が存在していたんではないでしょうか?つまり、x の文字ですね。
そして、ギリシャ語云々ではなく、単純にそのまま sh の音を表すスペイン語の文字 x が「未知数」を表していた شيء /shay'un/(シャイウン)の訳として採用された。

これが、ぼくの現時点での見解です。


さて、前回の記事でぼくの個人的な邪推として、「アラビア語(ラウシャーアッラー)が x を用いて oxaláオシャラ)となった」ということと、ふと思い出した大学の先生の一言「元は x を用いて Don Quixote(ドン・キショーテ)だった」という二点から、スペイン語x は昔は /ʃ/(sh の音)を持っていたということを勝手に前提にした上で、

スペイン語の歴史の中のあるタイミングで /ʃ/ (sh の音) を表す x という文字の発音上の役割が変わって、現在のように /x/ (jota の音) を表すに至ったのではないかと。つまり、ぼくの勝手な推測では /x/ (jota の音) を表すようになった x と元々その音素を表していた j の文字が一つの言語内に並存するようになったため「混乱に近い混同」が起き、その渦中で x から j に置き換えられ、そのまま j の表す音素に従って /oxalá/ という発音に変化していったのではないでしょうか?("Ojalá" は「神頼み」?

という風に述べました。
今回のテーマで確かめるべきは「x が過去に /ʃ/ を表していた」という証拠と「いつからいつまでその音素を表していたのか」という事実です。
オシャラ」と「ドン・キショーテ」という二つの事例で「スペイン語の文字 x = 音素 sh」が実際に成り立ってはいると思いますが、RAE 内でその記述をこの目で見るまではぼくの中では推測の域を出ません(笑)

早速 RAE を開いていきたいのですが、ここからさらに引用していくとなるとまだまだ続きそうなので、今回の記事は「前半」として一旦ここまでにしておきます。
なんだか RAE からこのテーマの記述見つける大変な気がしますが、見つけ次第完結させますのでご期待ください ;)