イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

Pacto con el diablo

ゲーテの戯曲『ファウスト』では、主人公のファウスト博士が死後に魂を渡すという条件の下で悪魔と契約します。それにより若さを得たファウストは悪魔の力で欲望を叶えていき。。。

 

【きっかけ】

「悪魔と契約」を交わせば、この世のすべての知識を得られ、あらゆることを経験でき、望むものはなんでも手に入れることができるそうですが、ファウスト博士の場合は死後にその魂を悪魔メフィストフェレスの奴隷とするという条件を飲んでの契約。

「死後の自分の魂が悪魔の奴隷となる」?
世界観ツヨすぎて、いまいちワカラナイですが。。。

今回は「悪魔と契約」するよりも、もっと知識を得られる方法があると教えてくれている(?)ことわざ

Más sabe el diablo por viejo que por diablo

について掘り下げてみます。

 

【意味】

このことわざを初めて見たのがいつかは覚えてないですが、おそらくスペイン語二、三年目くらいかと。意味を調べる前に何を伝えようとしているのかをもちろん自分自身で考えてみたものの、結果は明白。。。

「悪魔は悪魔よりも老人を通しての方が知識を持っている」???

ドユコト?
「"老人"と契約」した方が知識を得られる、みたいなこと??
いや、ドユコト!?


このことわざは日本語の「亀の甲より年の功」に当たります。
ご存知の通り、経験・知識・知恵が豊富な年配者の言葉を尊重して、その意見に耳を傾けるべきだという意味です。
後知恵ですが、そう聞くと上の稚拙に見えるぼくの訳でも連想することは可能な気がしてきます。

ただ、スペイン語の文面をどう解釈をしたらそうなるんでしょうか?悪魔よりも老人の方が知識があるってこと?
主語は悪魔なので、老人よりも悪魔どうしで知識を共有した方が勝ると思うんですが。
いや、この老人 (viejo) ってもしかして「老人の悪魔」ってこと?老魔?
そう考えれば、若年悪魔よりも老魔の方が知識はあるんでしょうが。。。

考えれば考えるだけ深みにはまっていくような感覚に陥ります。これが悪魔のやり方か。いっそのこと、「悪魔と契約」して解説してもらおうかしら。

 

【考察】

悪魔は sabio、つまり非常に賢い存在とされています。
ファウスト』のように悪魔はその「賢さ」をもって人間を誘惑し堕落させようとしますが、その賢さとは「ずる賢さ (astucia)」なのです。
高名な学者であるファウスト博士を誑かすだけあって悪魔の持つ知識や頭の回転の速さは人間の比ではありません。しかし、そんな悪魔でさえも間違いを犯すことはあります。

sabiduría(ここでは知識や知恵、頭の回転の速さなどのあらゆる「賢さ」と解釈します)というものは単なる情報や知性、能力というよりは、経験の積み重ねによって知識となり、その知識こそが「賢さ」の礎となるのです。

つまり、元を辿れば経験こそが sabio への第一歩であると。
より多くの経験を積み重ねている人はその分より多くの時間を生きている人であり、そういった人の人生経験からくる助言は生きていく上で役に立たないはずがないため、年配者 (viejo) からの教えを尊重しなさいということを、この Más sabe el diablo por viejo que por diablo は教えてくれているのです。


さて、ここで、このことわざの文法構造について少し考えてみます。
今回も例にもれず、念のため Nueva gramática を引いてみると関連する内容があったので共有します。

por による前置詞句は、porque era muy estricto のような動詞の主語がヒトである場合の名詞従属節にもなりうるし、por ser muy estricto の下線部のように不定詞の従属節にもなりうる
Eso te pasa por tonto; Siempre los suspendían por vagos のように形容詞が名詞従属節の位置に来ることもある
Esto te pasa por (ser) tonto; Más sabe el diablo por (ser) viejo que por (ser) diablo のように、これらの文は動詞 ser不定詞が省略される構文として解釈され、その場合の不定詞の主語は主節の主語と同じである
また、この por による前置詞句の主語は次のものがあてはまる
主動詞の間接目的語 (Esto le pasa a tu amigo por tonto)、主動詞の直接目的語 (Lo expulsaron por incumplidor)、状況補語 (No quiso ir con ella por antipática)、受け身の主語 (Fue expulsado por incompetente)、動作主 (Ascendió por astuto e intrigante)(§46.4c)

「悪魔は悪魔よりも老人を通しての方が知識を持っている」のようにぼくは考えて、悪魔よりも老人「を通して」、すなわち老人の方が物知りだからそんな老人に「教えてもらった」方がより知識を得られる、と解釈しました。
しかし、上の引用文によると、このことわざ内の前置詞 por は「を通して」というよりは、その前に ser が省略されていて理由を表す用法であるようです。つまり、

Más sabe el diablo por ser viejo que por ser diablo

であると。
てことは、「悪魔は悪魔であるからではなく、年を取っているからこそ知識を持っている」といった感じになるのでしょうか?
言い換えると、悪魔の有する「(ずる)賢さ」というものは年を重ねて得た経験に由来するものであって、悪魔である(もしくは、悪魔に生まれた(?))からといって無条件にその「(ずる)賢さ」を持っているわけではないと理解できるんじゃないでしょうか。

つまるところ、このことわざの主語の el diablo は酸いも甘いも経験した「老魔」と考えることができるんじゃないでしょうか?
色々と調べる前に自分なりに考えて、「ここでいう viejo って人間のお年寄りじゃなくて"悪魔の"老人ってこと?」というひとつの仮定に辿り着きましたが、当たらずも遠からずでした!


ちなみに、我らがデーモン閣下は2019年10月18日現在、御年10万飛んで56歳であらせられます。
悪魔の平均寿命がいくつなのか(そもそも寿命は尽きるのでしょうか?)はわからないので、10万56歳が悪魔の中で若いのか老いているのかも不明ですが、閣下を例にこのことわざを見てみると、

閣下は悪魔であるからではなく、10万56年という長い時間を生きてきた経験があるからこそ知識を持っている

だから、早稲田大学卒のインテリであり、「悪魔ちゃん命名騒動」のときも機知に富んだ返答をすることができたんでしょう。
閣下を例にしたら、このことわざがすっと頭に入ってきました!

 

【まとめ】

● Más sabe el diablo por viejo que por diablo は日本語の「亀の甲より年の功」に相当。ことわざ内の前置詞 por には不定ser が省略されており「理由・根拠」を表す用法であると解釈できる。


スペイン語を見聞きしたり、習ったりしていく中で興味深い単語や文法に出会ったらすぐに携帯のメモに書き記して、のちに調べて掘り下げていくんですが、スペイン語歴5年半でそのメモも相当な量に。。。
たまに見返しても、どこで見聞きしたかも覚えてなければ、今思えば「なんやこれ?」と思うものであふれてます。例えば、

I confíes en él, es un vendido. 魂を売ってしまった奴

原文ママです。おそらく、文頭は No confíes ですね。何に焦ってたのか、打ち間違えてますが。
vendido が「魂を売っ」た人を意味するんだとどこかで知り、おもしろいと思ったからメモしたんでしょうが、今思うと「『悪魔に』魂を売った」ということだったんでしょうか?
つまり、vendido は「悪魔と契約」して魂を売ってしまうような、欲望に駆られて容易く人間性を捨てるような人という意味から「裏切者」を表すに至るのかなと考えます。
実際、辞書で vender と引いてみると「裏切る」という訳が載ってました!

これでまた、ぼくの中でひとつのメモが成仏しました :)