イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

No sé si venga.

メキシコで生活していると、いわゆる mexicanismo というメキシコ特有のスペイン語に戸惑うことが多々あります。逆に、何気なく使った言葉がスペイン特有のスペイン語だと言われて驚くことも。ただ、それはあくまで単語レベルの話であって、文法的な違いで新たな発見はそうそうないです。

スペインとラテンアメリカの文法の違いと言えば、現在完了と点過去の使い分けとかが有名ですよね。ぼくもメキシコに来て、「ただいまー」を "Regresé." と言っているのを聞いて、「"He regresado." じゃない!?」とその文法の違いを肌で感じたの覚えていますし、もちろん今でも毎日感じます。

 

【きっかけ】

今回の表題を見て、みなさんは違和感を覚えますか?
「彼が来るかはわからない」というこの文、ぼくなら "No sé si viene" か "No sé si va a venir" もしくは "No sé si vendrá" という風に時制はともかく venir直説法で置きます。
なぜか?理由は簡単です。

大学で「si の後に接続法"現在"は現れない」と習ったから。

スペイン人の先生が口を酸っぱくして言っていたので、ぼくは "si + presente de subjuntivo" はあってはならない構造だと認識していましたし、他の先生にも(ぼくの記憶が間違ってなければ)「スペイン語の起源となるラテン語では『si + 接続法現在』という形が許容されていて、スペイン語でもその形が使われていた時代もあった」と教えてもらいました。が、現代では使われないと。

ところがどっこい。。。
これらすべてが夢だったかと思うくらいにメキシコでは "No sé si venga" のように接続法現在が出現します。。。
メキシコ人に聞いても「何が変なの?」とキョトンとした表情。終いには「本当にスペイン語勉強してきたの?」なんてからかわれて。。。
みなさんはどうですか?接続法使う?使わない?

ということで、今回のテーマは「自分が知っている(もっと言うと、正しいと信じてきた)スペイン語が間違っていたのか!?」という衝撃的かつ貴重な体験からのレポートです。5年半スペイン語を勉強してきたプライドをかけて、この接続法の出現について迫っていきます!

 

【考察】

早速 Nueva gramática で求めていた内容を見つけました! ↓

動詞 saber を伴う間接疑問文‹1›内での接続法の出現は古スペイン語において一般的であった
そこから知識の所有・獲得 (POSESIÓNADQUISICIÓN DE CONOCIMIENTO) を表す他の動詞にも接続法の使用が広まった
Infórmate de quién sea (Calderón, Hija)
この接続法の使用は、現代ではスペインよりもアメリカ大陸のスペイン語で頻繁に見られる
No sé si te guste esta comida という文は今日ではメキシコ・中米・チリ・カリブ海地域・アンデス地方‹2›では普通だが、スペインとラ・プラタ川流域では No sé si te {gusta ~ gustará} esta comida という言い方が一般的である
しかし、聞き手が話題に上がっている料理についてすでに知っているということを話し手が前提としている場合、直説法の出現は前者の地域でも見られる
一方で、後者の地域では接続法の使用は滅多に見られない(§25.5o)

‹1› 間接疑問文 (interrogativas indirectas) ... "¿Quién es él?" という直接疑問文に対して、"No sé quién es él." のように疑問を目的語として文章の一部に組み込んだ文。
‹2› アンデス地方 (área andina) ... コロンビアからチリ北部あたりの地域。

スペインでは接続法の使用は滅多に見られない
この記述を待ってました!今までの自分が間違っていたのかという不安が払拭されて、まずは一安心です(笑)

さて、ラテンアメリカでは saberinformar のような「知識の所有・獲得」を表す動詞の間接疑問文において、直説法とともに接続法の使用も認められており、頻繁に見られるとのこと。これはすでにメキシコで経験しているので疑いようのない事実です。一方、スペインでは滅多に使われないとある通り、ぼくは個人的にスペインでは今回のタイトルのように接続法が使われているのは一度も聞いたことないです。

ただ、書き言葉では少し変わってくるようで、、、

スペイン語圏のほとんどの国での書き言葉では接続法を含む間接疑問文が(ほとんどの場合否定文で)見られるが、メキシコ・中米・チリ・カリブ海地域・アンデス地方での方がかなり頻繁に見られる
No sé cuándo sea el momento adecuado (Proceso [Méx.] 10/11/1996); No sé si sea importante, pero es el tipo de cosas de las que me encanta enterarme (Contreras, G., Nadador)
上で述べた地域にスペインとラ・プラタ川流域を加えたスペイン語圏全域において、直説法現在または未来の方が好まれる
No sé cuándo será el momento oportuno; No sé si lo sabes (o lo sabrás)(§25.5p)

前半部分で述べられているように、スペイン語圏全域で否定の間接疑問文の場合は接続法が現れると。確かに、「否定が接続法を導く」こともあるので不思議には思いませんが、みなさんは接続法を使いますか?

saber
という verbo de CABEZA が否定されていることが接続法を導く理由とも考えられますが、"no sé si" の場合はぼくはやはり「si の後に接続法"現在"は現れない」というルールを優先して -saber が否定されているいるものの- 接続法は使わないようにしてきました。また、si じゃなくて "no sé + 疑問詞" の場合でも接続法を使うという選択肢はぼくの中にはないものとして今までやってきました。

後半部分で、スペイン語圏全域で直説法の方がより使われる傾向があるとあり、これまた今までの自分が間違っていなかったと安心させてくれました :)


ちなみに、その次の項でこのように述べられています。

スペインのスペイン語では接続法の出現頻度は直近2世紀で顕著に減少しているが、この構文において助動詞 poder は直説法よりも接続法の形を取る方が一般的である
しかし、アメリカ大陸のスペイン語と比べるとその頻度は低い
Y quisiera saber quién pueda ser el lejano cronista que le cifre los mensajes (Rojo, Hotel); Yo ya no sé si pueda vivir sin ti, Carlos (Parra, Obscenidad)(§25.5q)

スペインでも助動詞 poder の場合は接続法が使われることが一応あるようですね。ただ、ぼく個人的にはスペインで聞いたことはないです。
念のため、スペイン人の友だちに質問してみたら、やっぱりスペインでは poder であろうと "no sé si" または "no sé + 疑問詞" の後では接続法にはならない、とのことでした。

この「no sé + si もしくは疑問詞 (qué, cuándo, quién, etc.)」という構造で接続法が使われるのは「saber が否定されているから」、もしくは「『〜かどうかわからない』というその文自体が疑念を表しているから」など考えられる理由は複数あるんじゃないかなと考えます。

しかし、引用内の一つ目の例文 (Y quisiera saber...) は否定すらされていないのに接続法が使われてますよね。これは poder 自身が原因とは考えにくいと思うので、ということはやはりこの文全体の意味するところが接続法出現の理由となっているのではないでしょうか?
つまり、「誰がそのコラムニスト (= cronista) である可能性があるのかを知りたい」ということは、この話し手は現時点で『知らない』ということになります。この『知らない (no sé quién pueda ser...)』という解釈を通すと接続法が使われるのもうなずけると思います。

少し話が変わってしまうかもしれませんが、個人的に接続法について理解が一つ深まった内容を。
「君が好きなようにやりな」をスペイン語にするとほぼ必ず "Haz como quieras" のように como の後には接続法が使われます。しかし、「オレは自分がやりたいようにやるんだ!」の場合だと接続法に加えて "Haré como quiero" のように直説法が続くことがあります。これは、話し手がその内容(ここでは『君』もしくは『オレ』がやりたいこと)を知っているかどうかが関係してくると習いました。
つまり、"Haz como quieras" だと相手がしたいことは話し手には不明だから接続法を使っていますが、"Haré como quiero" では話し手は自分自身の話をしているのである程度頭の中に「自分がやりたいこと」のイメージがあると考えられるため、直説法を用いることが多くなるんだそうです。(なので、話し手自身が自分のやりたいことを分かっていない場合は "Haré como quiera" となります。)

このように、話し手にとって知っているか否かが接続法の出現理由にもなっているので、上で見た例文 (Y quisiera saber...) にもこの説明があてはまるのではないでしょうか?


さて、ここまではいつも通り RAE の文献を引用してきましたが、今回は今までになかった参考文献にお世話になろうと思います。

大学の卒論を書く際に CiNii Articles という国内の論文を閲覧できるサイトで複数の論文を読んで参考・引用させてもらいました。卒業後、最近でもたまにおもしろい論文はないかと検索してるんですが、偶然にも今回のテーマに関連した論文を見つけたので、参考にさせてもらおうと思います。

が、相当な覚悟と気合が必要なので今回はここまで。
次回その論文を読みながら改めて考察していきます!