イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

Si gustas, yo te espero ahí.

私は猫が好きです」という文の主語は何でしょうか?「私」?それとも。。。?

大学二年生の時に「日本語学」という授業を受講しました。
当時はスペイン語アラビア語に加えてドイツ語、韓国語、ヘブライ語ノルウェー語をかじる程度に勉強していましたが、不思議なことに別の言語を学べば学ぶ程に母国語への興味が湧いてきて、日本語も学んでみたい、いや日本人として学ぶべきだと思い立ち受講を決めました。
冒頭の質問はそのクラスで先生がしたものです。その時ぼくは「私」が主語だと思いましたが、先生の答えは「猫」。理由は「好き」は形容詞だから。

。。。

「好き」って形容詞ナノ?動詞だと思ッテタ。。。
人生20年目にして初めて知った衝撃。厳密には言い切りの形が「〜だ」となるので「好き・嫌い」は形容動詞とのこと。ソ、ソヤッタンヤ。。。

この話をメキシコ人の通訳の同僚にしたところ、「いやいや、日本語のスキ・キライは形容詞っしょ」と当たり前のような顔。そしてナニイッテンダこの日本人みたいな空気。ただ、反論の余地はあるかと。
いつか大学時代の友だちに「スペイン人でも me gusta の主語を yo と認識する人がいる」という話を聞いて驚きました。「そんな奴はスペイン語ネイティヴ失格や!」と叫びたいところですが、かく言うぼくはすでに上の件で日本語ネイティヴという肩書は剥奪済みなので黙っておきます。

それはさておき、ここで言いたいのは、文法を学んだ非ネイティヴの方がこういった類の文法事項にはネイティヴよりも明るいということです。
「私は猫が好きです」という日本語文における主語を一応日本語ネイティヴのぼくは「私」だと考えました。一方、友人の話によるとスペイン語ネイティヴの中に "Me gustan los gatos" という文の主語を「私 (Me)」と考える人もいると。

つまるところ、この件は「文法上」の主語と「意味上」の主語のどっちで捉えるかというのが焦点になっているんじゃないでしょうか?ネイティヴは自分の言語だからこそ文法よりも文の意味を優先的に考えて意味上の主語を導き出すんだと考えます。「〇〇が好き」という主観的な感情を感じるのは自分自身であり、「猫が好き」なのは「自分」ということで、文法よりも意味の方で主語を捉えた結果が日本語・スペイン語ともに上記のようなことが起きたのかなと、言い訳しておきます(笑)

 

【きっかけ】

さて、今回は上にも出てきたスペイン語の動詞 gustar について。
タイトルに置いた文を見て違和感を抱きせんか?ぼくはこの文をネイティヴに言われた瞬間にめちゃくちゃ違和感を覚えました。文脈としては、待ち合わせ場所をどうするかという話で「よかったら、あそこで待ってるよ」という際の文です。
スペイン語の授業であれだけ「gustar の主語は『好きなもの』」と教えられてきたし、「『それを好きな人』を示す目的語の me とかは省略できない」とも習ってきたのに、なんかこの文ヘンじゃね?と。

スペインの大学で「スペイン語教授法」という教職課程のような授業で、この gustar という動詞はスペイン語を学ぶ非ネイティヴの母国語によっては特殊である、と先生が述べていました。gustar に対応する英語は like なので英語ネイティヴスペイン語初心者には "I like..." を "Yo gusto..." と言ってしまう間違いがよくあると。

今回はそんなぼくらを惑わせる動詞 gustar について調べてみます。

 

【考察】

Diccionario panhispánico de dudas から引用していきます。

causar, o sentir, placer o atracción’「喜びや魅力を引き起こす、または感じる」という意味の場合は自動詞であり、次の二つの形を取ることが可能である(gustar. 1.)

ということで早速一つ目を見てみると ↓

主語は喜びや魅力を引き起こすものであり、それらを感じる人は間接目的語で表される: «Vos ME gustás mucho» (Rovner Pareja [Arg. 1976]); «LE gustaban la buena música y los buenos libros» (Palou Carne [Esp. 1975])
現在の用法としてはこれは一般的な構造である(gustar. 1. a))

書いてある通り、これこそ gustar の"普通の"使い方ですよね。
スペイン語一年生の時にこの動詞を習った際、先生が「じゃあ、『君のことが好き』だとどうなる?」という問いに答えられなかったのを覚えています。答えはお分かりの通り "Me gustas" ですが、基本的に gustagustan の三人称の単数か複数形でしか使わないので、頭では が主語と理解していても gustargustas という形に活用する姿が想像できませんでした。

この感覚、中学生の時に "Who am I?" という文を初めて聞いた時に感じたものと似ている気がします。というのも、教科書には「あなたは誰ですか?」や「彼は誰ですか?」という文は出てきますが「自分は誰だ?」というジェイソン・ボーンのような例文は教科書には出てきませんよね。なので、歌詞か何かで "Who am I?" と聞いた時に、"Who are you?" や "Who is he?" のように慣れ親しんだ文とは異なってなんだか変な気がしました。つまり、理論通りだとこうなると分かっていても、実際に聞いたり見たりしたことがないと本当にそうなるのか不安になることがあるということです。

"Me gustas" という文を聞いた後では「私のこと好き?」という文が "¿Te gusto?" となることを容易に受け入れられます。しかし、それでもほとんど聞くことのないような "Me gustáis" という形には未だに違和感が拭えないのは、単純に聞く機会が滅多にないからなのかなと。


そして、二つ目の構造が次 ↓

喜びを感じる人が主語となり、その喜びを引き起こすものが前置詞 de とともに目的語として表される: «Gustaba DE reunirse con amigos en su casa» (UPietri Oficio [Ven. 1976])
これは特に書き言葉に見られる構造である
被制辞補語‹1›が不定詞の場合に頻繁に見られる前置詞 de の省略は避けなければならない: *«Barcelona y Tenerife, dos conjuntos que gustan jugar al ataque» (Vanguardia [Esp.] 22.3.94)(gustar. 1. b))

‹1› 被制辞補語 (complemento regido) ... 文法上必要とされる要素を「被制辞 (régimen)」と言う。例えば、depender DE, referirse A といった動詞に対して省略不可である前置詞 de, a がそれぞれの被制辞に当たり、被制辞補語とはそれら被制辞に続く動詞の目的語のことを指す。

こちらの用法は英語の like と同じですね。主に書き言葉で用いられているようですが、こういった使い方もあったんですね。
ただこの用法の場合は自動詞としての使用なので、必ず前置詞の de を伴わなければならないようです。目的語(好きなもの)が不定詞の場合は省略されてしまう傾向があるようですが、これはおそらく一つ目の使い方と混合してしまって起きるミスだと考えられます。

ちなみに、この用法についてネイティヴに聞いてみると、"No se usa." もしくは "Suena literario o poético." と教えてもらいました。


そして、今回の表題に置いた gustar の用法については2.の項目で述べられています ↓

他動詞としては ‘querer o desear’ という意味を表し、その用法は丁寧な場面に限られる: «¿Gusta usted una cerveza?» (Victoria Casta [Méx. 1995]); «—¿Le molesto si escucho las noticias? —Haga como guste» (Plaza Cerrazón [Ur. 1980])(gustar. 2.)

つまり、表題の文の "Si gustas" は "Si quieres" または "Si deseas" と同じ意味で、文法的にも問題のない正しい用法だったようです。
念のため、こちらもネイティヴに聞いてみると引用内にある通り、"Esto suena formal." とのことです。
他にぼくが聞いた実例としては、

- (Quiero comer uno.) - ¡Cuanto gustes!

- Haz como gustes.

- Se nos cortó la llamada. ¿Gusta que yo le marque?

すべて querer と交換可能ですね。
個人的にはこの用法はこのくらいしか聞いたことありません。それだけぼくの中では珍しい使用法なので、この使われ方をしているのを聞いた際に携帯にメモに残していました。今後、フォーマルな場面でチャンスがあれば使ってみようと思います。

 

【今回の結論】

● "querer o desear" という意味での他動詞用法も可能であり、フォーマルな場面で用いられる。

● 英語の like のように「好きなもの」が目的語、「それを好きだと感じる人」が主語という構造もあり、その場合は前置詞 de を伴う。この用法はほとんど用いられることはない。


スペイン人の友だちに「スペイン語の接続法って日本語にはないから難しいんだよね」と言うと、彼は文系の大学生にもかかわらず「その subjuntivo って何?」と言ってました。それはさすがに極端なケースですが、ネイティヴに「接続法」とだけ言っても伝わらないことが多いので説明をしてあげる必要があります。
ぼくは逆に日本語を勉強をしている友だちに「この場合は動詞を『連用形』に活用するんだよね?」と言われて「レ、レンヨーケー?はて?」なんか中学か高校の国語の授業で習ったような気がするけどナンダッケ、、、という経験があります。
外国語を勉強する際はより効率を高めるために体系化された文法を学びながら実例に応用していきますが、母国語は幼い頃から文法どうこうをすっ飛ばして身につけていくものなので、上のように文法や文法用語に関しては母国語の方が手薄であるのは明確です。

そして、このことを考慮すると、ぼくが「私は猫が好きです」の主語が「私」だと思った理由は「文法的より意味的な主語を優先する」という推論の他にも、もしかしたら英語の影響もあるのかなと思います。
繰り返しますが、母国語である日本語を文法的に意識することは少なくともぼくはありませんでした。そして、初めて言語の文法というものに触れるのが中学生で英語を学ぶ瞬間であり、主語や目的語などと言ったいわゆる「品詞」については外国語である英語の授業を通して初めて習った文法内容です。なのでいざ上のような質問をされた時に、どこかで英語の "I like cats" がよぎって「私」が主語だと考えたんのかもしれません。
まあ、ただの言い訳ですけど :)

Bueno, ¡pensad como gustéis! ;p