イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

Han electo a un nuevo presidente.

前回「Se me ha rompido.」では、rompidoponido などのような規則形分詞は幼い子どものものだと思っていたら、実は中近世の時代まではその形が普通に使われていたという事実を知りました。これらの動詞の分詞は規則形が衰退し、不規則形のみが生き残ったわけですが、規則形と不規則形の二つの分詞形を持っている動詞と聞いてぼくが思い浮かぶのは freír と imprimir の二つ。みなさんは他の動詞も思い付きますか?

 

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Se me ha rompido.

大学で受けた言語学の授業で、言語は単語であれ文法であれ時代を経るにつれて簡略化されていくものであると教わりました。
例えば、古英語ではスペイン語のように人称によって動詞の活用が変化していましたが、その屈折が衰退したことによって現代英語では現在形であれば3人称単数に活用する時にのみ -s を付けるというシンプルなものになったそうです。さらに、古英語には接続法が存在していたけど、これも衰退し、現在は簡略化された仮定法に変化したんだとか。つまり、この「衰退」こそが言語の「簡略化」なのです。

それは動詞の過去形にも起こり、例えば英語には過去形の活用に関して規則動詞 (play - played) と不規則動詞 (make - made) が存在しますが、実は元々は -ある程度の規則はあったようですが- 動詞は基本的に不規則活用をしていたんだとか。今では語末に -ed を付けるだけで簡単に過去形に変えることができますが、昔はそれぞれの動詞がそれぞれの過去形を持つというめちゃくちゃ煩雑な時代があったそうです。この状況に「言語の簡略化」が起きたことによって現在のように -ed を付けるだけで規則的に活用できるようになったんだそう。

しかし、言語というものが難しくて同時におもしろくもあるのは、よく使われる単語ほど不規則形を獲得するという現象もあるところ。簡略化とは反対の流れですが、こちらもどの言語にも見られる普遍的な現象であり、動詞の活用だけではなく名詞の複数形 (foot - feet) などにも起きています。元々規則的ではなかった動詞の過去時制の活用形が -ed の出現によって簡略化したものの、頻繁に使用される動詞は不規則形を維持、もしくは一度 -ed を受け入れたものの「頻出語の不規則化」を経て不規則形に落ち着いたんだそうです。例えば、現代英語では has, had と不規則に活用する have も、なんと過去には規則的に haves, haved のように活用されていた時代があったんだとか。

前回の記事「ネイティヴの間違い : Tal vez haiga gente así.」で古スペイン語時代に主要な動詞に /g/ の音が与えられて poneopongo に、teneotengo になったと学びましたが、これも「頻出語の不規則化」に当てはまりますね。

 

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ネイティヴの間違い : Yo sepo a sal.

前回の記事「muy mejor」では、そのタイトル通りにぼくがネイティヴの口から聞いた"間違ったスペイン語"について調べました。結果、文法的にも間違いであり、実際に使ってしまうと教養がないと思われてしまうほどの避けるべきミスであると判明しました。muy mejor なんて非ネイティヴスペイン語初心者が犯す間違いのように思えますが、ネイティヴでも間違えることがあるということに驚き。

しかし、似たようなケースに "Hubo/Había muchas personas" を "Hubieron/Habían muchas personas" と言ってしまうミスがあります。「~がある」という意味で動詞 haber を使う際は常に三人称単数形に活用し、学校では「複数形では用いない」という丁寧な忠告までしてくれるような内容ですが、どうやらこの間違いもまた非ネイティヴだけのものではないようで、ぼく自身何度もネイティヴの人たちが hubieron または habían という風に言っているのを聞いたことがあります。現在時制では hay という特殊な形を取るので間違えようがないですが、点過去と線過去時制においてはスペイン語ネイティヴで大学を出ているような人でもこの間違いであるはずの活用をしてしまっているのが現状。もしかしたら、そう遠くない将来に"正しい形"として認定されるかもしれないとこっそり思っています。

 

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muy mejor

ぼくのスペイン語の目標は「ネイティヴの感覚を掴むこと」。18歳からスペイン語を母国語ではなく、外国語として学び始めた以上、ネイティヴが持つスペイン語感覚を100%手に入れるのは不可能だと諦めています。しかし、文法書などからの"机上の知識"に加えて、ネイティヴが話すスペイン語から学ぶ"経験値"を組み合わせることで少しでも彼らの感覚に近づくことはできるはず。

ぼくは普段からスペイン語に疑問を覚えたら RAE の辞書や文法書に頼るし、実際このブログでも大変お世話になっていますが、それでも RAE が教えるスペイン語が"正義"だとは思っていません。たとえ RAE が「この用法は間違えである」と見なしているとしても、ぼくにとっては、ネイティヴがその用法を使っているのであればそっちが"正義"だと思っています。

例えば「ら抜き言葉」は日本語の乱れと見なされていますが、それでもほとんどの日本人は普通に会話する際には「ら」を抜いて話しますよね。日本語の文法書に仮に誤用であると書かれていても、実際の日本語ネイティヴのぼくたちは「ら」を抜いて話しているということは、こちらの話し方の方が自然であるということ。ぼくが目指すスペイン語はまさにネイティヴが話す自然なスペイン語です。

もちろん机上の知識も大事ですが、学校や文法書などで教わったことがネイティヴにとっては不自然であるということは多々あるし、「"oír" vs "escuchar"」の記事で書いたように机上の知識だけを妄信する危険性も痛いほど理解しています。なので、このブログでは常にスペイン語ネイティヴからの意見を聞いて、机上の知識だけにならないようにしています。

 

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Me sale el tiro por la culata

裏目に出る」という表現は、二つのさいころを振って出た目の和が偶数か奇数かを予想して掛ける丁半賭博に由来を持つんだそう。さいころの一の対面は六、二の対面は五のように奇数の"裏目"は偶数であり、裏目が出ることによって自分の賭け(=望み)と逆の結果になることから「裏目に出る」という表現が生まれたそうです。

気になったので、この丁半賭博に由来する表現は他にもあるか調べてみると、、、

きちんと予想をせずに「出た目でいいや」といういい加減な様子を表した「デタラメ

出目は完璧に予想できないことから運任せにする他ないことから「出たとこ勝負

運を天に任せる丁半賭博の「丁」と「半」の上の部分からそれぞれ「一」と「八」を取った「イチかバチか

などが見つかりました。
どれも普段使うような表現ですが、「裏目」「デタラメ」「出たとこ」とはどれもさいころの出目のことを表していたんですね。また、漢字を使う日本語だからこそ生まれた「イチかバチか」の語源も非常におもしろいです。

 

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"オレの"落ち穂ひろい ④

ぼくの語学人生で一つの分岐点になる体験が高校生の時にありました。

テレビ番組の奇跡体験アンビリバボーの中でアメリカ人親子のホームビデオが流れた際、5歳くらいの子がお母さんにくすぐられて「くすぐったいよー」という日本語の字幕が出ました。音声はそのまま英語だったのですが、その子は笑いながら "Tickles" と言っていて、そこで初めてぼくは「くすぐったい」は英語でそう言うと知りました。
これを聞いた瞬間、それまでめちゃくちゃ英語が好きでたくさん勉強してきたと思っていたのに自分は ーその子はネイティヴとはいえー 5歳の子でも知っているような言葉すら知らないんだということにめちゃくちゃショックを受けました。それからというもの、日常の中で常に「これは英語で何て言うんだろう?」とアンテナを張り、知らなかったらすぐに調べるように心がけ、今ではそれをスペイン語で実施しています。

「くすぐったい」のようにネイティヴなら分からない人なんていない単語でも、非ネイティヴの場合は実際にその単語を聞くか、自分で調べるに至るかしない限り、永遠にたどり着かないですよね。特に日本にいて外国語を学ぶという状況だと基本的には自分で「これは何て言うんだろう?」と疑問を持って自分で答えを見つける他ありません。
ぼくはこの"アンビリバボーの「くすぐったいよー」経験"のおかげで、単語でも文法でも常にアンテナを張って「自分で」疑問を見つけるという心がけが大切であるという、非ネイティヴとして言語を学ぶ際のあるべきスタンスというのを一つ教えられたと思っています。

 

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