イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

"oír" vs "escuchar"

今回の表題。
スペイン語を学ぶ人間が必ず通るこの二つの動詞の使い分け。今更説明の必要なんてないですよね。英語でも hearlisten は違うということは習いますし、そこから hear = oír =「聞こえる」、listen = escuchar =「聞く」という方程式で頭に叩き込まれているはず。

興味深いのは、日本語でもまた「聞く」と「聴く」という二種類の「きく」があるということ。NHKサイト内の「NHK放送文化研究所」という日本語に関する疑問に答えるページに「聞く」と「聴く」の表記の使い分けについて書いてありました ↓

ただ単に「きく」場合は一般に「聞く」を使い、注意深く(身を入れて)、あるいは進んで耳を傾ける場合には「聴く」を使います。「音楽を聴く」「講義を聴く」

「傾聴」という語があるように音に対して意識的に耳を傾ける場合が「聴く」なので、こちらの「きく」は listenescuchar と同じ意味ですね。

 

【きっかけ】

電話などで電波があまり良くなくて「聞こえてる?」という時、みなさんはスペイン語でどのように言いますか?
ぼくなら ¿Me oyes? か ¿Me puedes oír? と言いますが、メキシコに来て同じ状況で ¿Me escuchas? または ¿Me puedes escuchar? と言っているのを聞きます。というかメキシコで ¿Me oyes? は一回も聞いたことないような。。。
また、同じくメキシコである時、急に外から大きな音が聞こえてきた際に「今の音聞こえた?」という意味で ¿Escuchaste? または ¿Se escuchó? と言われた時も「ここで oír を使わない。。。?」という疑問を抱きました。

oírescuchar の使い分けに関して分かりやすい例文を習ったことがあります。「聞いてる(聞こうとしている)けど聞こえない」はスペイン語で "Te estoy escuchando pero no te oigo." になると。しかし、今まで信じてきたこの使い分けがされていないのです。
他にも自分が思っていた oírescuchar の使い分けの概念が揺らぐ経験がいくつかあります。それらについては追々書くとして、まずはこの違いというのが自分の勘違いなのか?それともいつもごとくスペインとメキシコの地理的差異なのか?他に原因があるのか?などを見ていこうと思います。

 

【考察】

Diccionario panhispánico de dudasoír のページはないのですが、一方の escuchar のページはありましたので見てみましょう ↓

escuchar は「何かもしくは誰かを聞くために注意を払う、または耳を傾ける」を意味するため、escuchar という行為は自発的なものであり、主語側の意図的な行為であることを示す
そのため、「聴覚で音もしくは誰かが言うことを感じる」を意味する oír とは異なる(escuchar. 1.)

「聞く」という行為を自発的に行うか否かで使い分けると明記されており、これこそぼくらが学校で教わって"妄信"しているルールですよね。ただ、ここに今回のテーマの問題点が存在するのです。つまり、ルール上は oírescuchar には明確な違いが存在しており、厳密にはしっかり使い分ける必要があるはずなのにもかかわらず、実際にメキシ
コでは oír を使うべき状況で堂々と escuchar を使っているのです。
これに関して DRAE と Diccionario de americanismos でこれら二つの動詞を引いて定義を確認してみたものの核心を突くような内容はありませんでしたが、西和辞典から小学館西和中辞典[第2版]で escuchar を引いてみると以下の記載がありました ↓

3 《ラ米》聞く、聞こえる (=oír).
No se escucha bien. よく聞こえません。(escuchar)

《ラ米》とある通り、この用法こそぼくがメキシコで経験した(している)ものに当たります。
では、Dpd の続きからこの二つの動詞の混同についての記述を見てみましょう ↓

oírescuchar よりも総合的な意味を持つため、ほとんどの場合において escuchar に代わって oír を使用することが可能であり、これは古典スペイン語でも現代スペイン語でも同じである: «Óyeme agora, por Dios te lo ruego» (Encina Égloga [Esp. 1497]); «Óyeme y deja de leer ese periódico» (Fuentes Cristóbal [Méx. 1987])(escuchar. 1.)

oír は escuchar よりも総合的な意味を持つ」と述べられていますが、これは日本語の「聞く」と「聴く」の関係に似ているんじゃないでしょうか。冒頭で見たNHKからの引用部でも「ただ単に「きく」場合は一般に「聞く」を使」うとあるように「聞く>聴く」であり、スペイン語の方は "oír > escuchar" であるということになります。この構図を提示されると escuchar を使う場面でも oír の使用が許されるということは納得できると思います。

そして「ほとんどの場合において escuchar に代わって oír を使用することが可能であ」るとある通り、古典・現代スペイン語ともに "Óyeme" という実例が示されています。個人的にはかなり違和感があるのですが、みなさんはどうでしょうか?ぼくならこの場面なら "Escúchame" だと思うし、まず "Óyeme" って聞いたことないです。

そもそも、相手の注意を引く際の「ねえ」や「おい」が oír から来る "Oye" というのもずっと不思議に思っていました。例えば、同じ「見る」でも mirarver がありますが、escuchar と同様に「意識して自発的に」見るのが mirar なので注意を引くときに "Mira" と言いますよね。同じ観点で分けるとすると escuchar, mirar に対して oír, ver となります。ということは、注意を引いて聞いてほしいなら "Escucha" の方が二つの動詞の使い分けから考えると正しいはず。しかし、これら二つの動詞は互いに交替可能であり、実際に "Óyeme" という風に使われているということも事実。となると、注意を引く際はやはり本来は "Escucha" が来るべきであるものの、escuchar を包括している oír に取って代わって "Oye" が使われるようになり、それが語彙化して定着したのでしょうか?

óyeme に関してネイティヴに聞いてみると、スペイン人によるとスペインではあまり一般的ではないけど使う人もいると思うとのこと。一方のメキシコ人によるとメキシコでは使うそうで、例えばお母さんが子どもに「ちゃんと聞きなさい」という時に escuchar の代わりに "Óyeme bien" という風にも言えるとのことです。
そしてなんと、この記事を書いている最中(10月9日)に携帯の通知が鳴り、画面を見てみるとそこには、、、↓

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UberEatsからの通知

メキシコでは一般的だと聞いたばかりの "Óyeme" が人称が変わってはいるものの "Óigame" とあるではありませんか!このタイミングでぼくの中で初の実例に出逢いました!あまりにもタイミングが良すぎるのでちゃんと日時が分かるようにスクショしました ;)


さて、意味的には "oír > escuchar" だから escuchar を使う場面で oír の使用が許されるという理論は納得できます。しかし、引用部の続きにはなんとも納得しがたい内容が書かれていました ↓

主語の人間が事前に意図を持たずに聴覚を通して音を感じる行為に言及する際に oír の代わりに escuchar を使用することは正当化されにくい
しかし、この使用法もまた古典スペイン語の時代から存在しており、特にラテンアメリカの高名な作家の中で現代でも使用され続けているため、この使用法に否定の余地はない: «Su terrible y espantoso estruendo cerca y lejos se escuchaba» (Cervantes Persiles [Esp. 1616]); «Chirriaron los fuelles, patinaron en el polvo las gomas, se desfondaron los frenos y se escucharon alaridos» (Sarduy Pájaros [Cuba 1993])(escuchar. 1.)

「聞く」という行為が自発的ではない場合に「oír の代わりに escuchar を使用することは正当化されにくい」とあり、ということはメキシコでよく聞く ¿Me escuchas? は誤用ということになるはず。オレの抱いた違和感は正しかった!と言いたいところですが、oír を escuchar と交換するという逆のパターンもまた古典スペイン語の頃から確認されており、あのセルバンテスoír であるべき場面で escuchar を用いているのが事実。

結局のところ「この使用法に否定の余地はない」とある通り、間違いではないというのが RAE の見解であり、それはすなわち現代スペイン語のルールということになるので、escuchar と oír は区別しなくても良いということになります。ただ、「特にラテンアメリカの高名な作家の中で現代でも使用され続けている」とあるので、もしかするとラテンアメリカ方面の方が oír の代わりに escuchar を使う傾向が高いのかもしれません。

ここで実際にスペイン人に電波が悪い電話口で ¿Me oyes? の代わりに ¿Me escuchas? と言うかどうか尋ねてみると、案の定それは一般的ではないとのこと。別のスペイン人の友人もその状況での ¿Me escuchas? はやっぱり少し変に聞こえるそうです。しかし、もし escuchar を使うのであれば ¿Me puedes escuchar? としたら違和感はなくなるそうです。一方、メキシコ人の友人複数にも同様の質問をしたところ、やはり oír でも escuchar でもどっちでも問題ないとの答え。
これらの事実から、この状況での使い分けに関しては、メキシコよりもスペインの方が二つの動詞の本来の使い分けが維持されていると言えます。


そして、ここからが今回のテーマの肝。
今回スペイン人とメキシコ人それぞれ複数人に質問したわけですが、全員が口にしたのが

oír と escuchar の違いは学校で習ってネイティヴはみんな理解しているはずだけど、みんな一緒くたに使っていてあまり使い分けていない」

これはメキシコ人だけでなく、スペイン人も全員言ってました。つまり、ぼくがメキシコに来てから気付いた oír と escuchar の混同は別にメキシコに限ったことではなく、スペインでも普通に起きているというのが真相で、ぼくがスペインにいる時にただ気付かなかっただけの話でした。
もちろん、これら二つの動詞の違いは何かをネイティヴに尋ねると誰でも答えられるくらい当たり前のことらしいのですが、それでも厳密に使い分けているわけではない、というのが現実のようです。

RAE が監修する FUNDÉU のサイトでもその使い分けについての質問とその回答のページがありました ↓

動詞 oírescuchar の違いについて。oír は「聞く」という行為に対して意図を内含していないはずですが、片方をもう片方の代わりに使うのは必ず間違いなのでしょうか?英語の listenhear はかなり厳しく使い分けられていますが、最近スペイン語の方では使い分けのルールが緩くなっているような気がします。

(回答)間違いではないです。実際のところ、ラテン語ではすでにこれら二つの動詞は混同されていました。スペイン語ではそこからの派生語である oyente, derecho a ser oído, audiencia などの言葉が昔から存在しています。RAE はこの二つに違いをつけているものの、意味の混同は昔からあると認めており、(DpD にて)混同しての使用は間違いではないとしています。(oír/escuchar 24/06/2014

改めて言いますが、oírescuchar の混同は「間違いではない」のです!これは衝撃。。。これまできちんと使い分けてきたのに、ネイティヴはそんなの気にも留めてないって。。。なんだか裏切られた気分がするのはぼくだけでしょうか?(笑)

 

【ここまでの結論】

● oírescuchar には「聞く」という行為に対する自発性の有無という違いが厳密にはあるものの、実際にはスペインでもメキシコでもほとんど区別されることなく使用されており、RAE もその混同を認めている。しかし、「聞こえてる?」と言う場面で、メキシコでは ¿Me escuchas? は一般的ではあるものの、スペインではあまり自然な言い方ではないと判断されるといったように、スペインとメキシコの間に慣習の差が見られる場合もある。


衝撃的な事実が明らかになったわけですが、関連する疑問はまだあります。次回はぼくの中で oírescuchar の使い分けの概念が揺らいだ単語に迫っていきます。