No hay mal que por bien no venga
スペイン留学中、司会者の問題文を読み上げる速さが尋常じゃないので問題文が全く聞き取れないクイズ番組 Pasapalabras をよく見ていました(笑)
そこでの問題で ¿Cómo se llama el estudio de los proverbio y refranes? というのがあり、その答えは Paremiología 。
もちろん、その時初めて聞いたんですが、不思議なことにその単語がスッと頭に入って今でも鮮明に残っています。
初めて聞いた時にその意味が分からなければ分からないほど、意味を推測することができなければできないほど、その意味を知った時の記憶が残りやすいのかなと思っているんですが、ぼくは外国語学習においてそういう経験が多々あります。
ただ残念ながら、そのほとんどがどうでもいい意味を表す単語なんですが :'(
この「ことわざ学、ことわざ研究」を意味する単語 Paremiología も覚えたはいいけど、一体いつ使うんやと(笑)
調べてみると、paremia という単語が「ことわざ」を意味するようです。
せっかく覚えたので、ネイティヴの友だちと話している時に知らぬ顔して数回この単語を使ってみたことがありますが、みんな「ナニソレ?」でした。
そりゃそうですよね、だからクイズの問題になってるんだから。
この報われない単語 Paremiología をどうかみなさん覚えてやってください。
もう一回言います、Paremiología です!
【きっかけ】
今回の表題のことわざを聞いたことありますか?
ぼくは初めてこのことわざを聞いたとき、時が止まった気がしました。
「何かが悪いとか良いとか、あるとかないとか、来るとか来ないとか。。。」
一言一句聞き取ったはずなのに、なんせ1ミリも理解できず。
もしこのことわざを「初めて見る」、もしくは「なんて意味だったっけ?」という方、文面からその意味するところの見当がつきますか?
直訳してみると、、、「『良い』のために来ない『悪い』はない」??
わからんっ!
悔しいですが、ぼくは初見では皆目見当がつきませんでした。。。 :(
【意味】
辞書には「禍福は糾える縄の如し」とあります。
幸と不幸は表裏一体で、捩じり巻かれた縄のように交互にやってくるという意味ですよね。響きがカッコいい「人間万事塞翁が馬」にも相当しますね。
小学館西和中辞典[第2版]には「よかれと思ってやって来ない不幸はない」との記述がありますが、、、
わからんっ!日本語がわからん。ドユコト??
【考察】
このことわざの文構造について少し考えてみます。
まず、その意味からするに、ここでの bien や mal は「良い・悪い」というよりむしろ、「幸・不幸」という意味になりますね。
「『幸』のためにやって来ない『不幸』はない」
ということは、「『幸』のためにやって来る『不幸』はある」?
つまり、「『不幸』は『幸』のためにやって来る」ってこと?
んー、まだピンと来ない。。。
次に見るのは、表現内の前置詞 por 。
この por が難しいです。どういう意味で捉えれば良いのでしょうか?
改めて小学館西和中辞典を開き、por の大まかな意味を拾ってみると、
1.(動機・理由)…のために
2.(目標・支持)…を求めて、…のために
3.(代理・資格)…の代わりに、…として
4.(方法・手段)…を用いて、…を通して
5.(期間)…の間
6.(場所・経路)…を通って、…の辺り
(por)
それぞれを訳に当てはめてみると、
1. 幸「のために」やって来ない不幸はない
2. 幸「を求めて」やって来ない不幸はない
3. 幸「の代わりに」やって来ない不幸はない
4. 幸「を用いて」やって来ない不幸はない
5. 幸「の間に」やって来ない不幸はない
6. 幸「を通って」やって来ない不幸はない
4.と5.の意味で捉えられる可能性は低いですね。ボツです。
ここでもうひとつ候補が思い浮かんだんですが、辞書に書いてあったナゾの日本語「よかれと思ってやって来ない不幸はない」の「よかれ『と思って』」の部分。
このような意味は辞書の por の項には載ってなかったのですが、ぼくが思い浮かんだのは "dar por + 形容詞・過去分詞" の形。「(…を)〜と見なす」という意味ですが、por bien に当たる「よかれ『と思って』」という訳を見てこの「見なす」という意味で用いられているのかなと思いました。
ちなみに、めちゃオモロスペインドラマ Ministerio del Tiempo の主人公 Julián が亡くなってしまった彼女に過去に戻って会いに行き、言ったセリフが
Te quiero. A veces uno lo da por sobreentendido, por lo que sea no lo dice. Pero quiero que no se te olvide, que no se te olvide nunca.
このシーン、感動です。
カッコいいセリフだったので、留学中に毎日1ページつけていた単語・表現帳に4行を費やしてちゃんとメモしました(笑)
当該部分は「言わなくても理解してくれていると思って」とかですかね。
このセリフを通して、"dar por" の初実用例に出くわし、sobreentendido という単語を知りました。
このような意味で por を解釈して訳に当てはめてみると、bien を名詞の「幸(せ)」もしくは形容詞の「よい(<よかれ )」で捉えると、
7. 幸「と見なされて」(=よかれ『と思って』)やって来ない不幸はない
のように辞書に書かれていたナゾの日本語にもつながると思います。
ただ、辞書にあったナゾの日本語内の「よかれと思って」と訳された理由は一応解けましたが、文全体としてはやっぱり意味が通らない。なので、この候補7.も却下です。
みなさんはどう思いますか?ここまでに納得のいく候補はありましたか?
もちろん他の解釈があるかもしれませんが、ぼく自身は7つの可能性の中では6.(幸「を通って」やって来ない不幸はない)を支持します。
「幸『を通って』」が一瞬よくわからない気もしましたが、ぼくはこんなイメージが湧きました ↓
横軸が「時間」で、縦軸が「幸・不幸」の度合いと考えます。
「幸せと不幸せが交互にやってくる」という意味を加味したら、ここまで均等ではないでしょうけど、幸せと不幸せの流れはこのグラフのようなイメージを持ちました。
つまり、
...→幸→不幸→幸→不幸→幸→...
この流れを前提とすると、6. の『幸「を通って」やって来ない不幸はない』は『幸という順番を通ってこない不幸はない』すなわち、『不幸がやって来てもその次は幸がやって来る』と解釈できるんじゃないでしょうか?
いかがですか?
この考え方だと、「禍福は糾える縄の如し」のように幸と不幸は繰り返し交互にやって来るという意味に対応していると言えると思います。
もっとわかりやすくするならば、「幸を通ってやって来ない不幸はない」よりも「幸に向かって行かない不幸はない」というのはどうでしょうか?
No hay mal que por bien no se vaya
だったら、初見でも理解できたかなと思います。むしろ、こっちの方がわかりやすくて良くないですか?
ただ、「小難しく聞こえる」というのがことわざに惹かれる理由のひとつなので、初見でその意味を推測されているようでは魅力に欠けます。なので、やっぱ "... no venga" のままで大丈夫です(笑)
【まとめ】
● ことわざ内の前置詞 por は「を通って」という意味で捉え、「幸を通ってやって来ない不幸はない」つまり「幸と不幸は繰り返してやって来るもので、仮に不幸が訪れてもその後には幸が追ってやって来る」と解釈することができ、日本語の「禍福は糾える縄の如し」に相当する。
今回扱ったことわざは、今つらい時期にいる人に対して「ずっと悪いなんてことないよ、良いことも絶対にあるよ」という励ましのフレーズであり、ポジティブな意味をもつものですが、逆に今絶好調の人に対しては「調子乗ってんじゃねえよ、その良い流れは長続きしねえよ」という意味で
No hay bien que por mal no venga
と言えるかもしれませんね(笑)
もちろん仲のいい友達への冗談ですが、ネットで調べてみたら、
No hay mal que por bien no venga; ni bien que su mal no traiga
というロングバージョンもあるようです!
この後半部分が付くことによって、一気に背筋が伸びますね(笑)
上のジョークもあながち間違ってないのかもしれません。
"No hay bien ni mal que cien años dure" ということわざもありますしね。
ぼくは、仕事終わりの楽しみのタピオカミルクティーを一気飲みしちゃうんでたった30秒の幸せです。。。
Qué poco me dura el bien (=la felicidad)... :'(