イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

Dijo la sartén al cazo

4月23日

スペイン語を学んだ人間であればこの日付を聞くとピンと来ると思います。そう、Miguel de Cervantes の命日ですよね。
スペイン語文学界の大巨匠が亡くなったのが1616年の4月23日であるとどこかで教わることがあると思いますが、同時に英文学界の巨匠ウィリアム・シェイクスピアも同年の同日が奇しくも命日であると習うものです。

そんな彼らの命日である2020年の4月23日付けのCNN Españolの記事でとても興味深いものがありました!
"¿Cervantes y Shakespeare murieron el mismo día? Te contamos la verdadera historia en el Día del Libro 2020"

この記事によると、、、

セルバンテスの時代のスペインでは人が亡くなるとその翌日に埋葬が行われ、その埋葬された日が死亡証明書に記載されるという慣習がありました。ということは、セルバンテスが亡くなったのは実際は1616年の4月22日であったということになります。

一方のシェイクスピアが亡くなった日も1616年4月23日とされていますが、こちらに関しては当時のイギリスが採用していた暦に言及する必要が出てきます。西洋世界では1582年までユリウス暦を使用していましたが、同年に教皇グレゴリウス13世の名の下で採用されたグレゴリウス暦が作成され、スペイン・フランス・ポルトガルなどのカトリックの国々で導入されました。しかし、当のイギリスはというとこの新暦を採用したのは1752年ということで、シェイクスピアが亡くなった年は、新暦より10日進んだ旧暦のユリウス暦をまだ用いていました。すなわち、彼の命日とされている1616年4月23日はユリウス暦での日付であり、セルバンテスと同じグレゴリウス暦でいうと彼の命日は5月3日ということになります。

つまるところ、セルバンテスシェイクスピアが息を引き取ったのは1616年4月23日ではなく、現行の暦で言うと、セルバンテス4月22日シェイクスピア5月3日というのが歴史の事実ということになります。
どっちもちゃうんかい!

 

【きっかけ】

英語にはシェイクスピアが生み出した単語や表現が豊富にあるとよく聞きますが、例えば何があるんでしょうか?何一つ知らない気が。。。
一方のセルバンテスに関しても後世のスペイン語に多大な影響を与えたとかなんとか聞きますが、セルバンテス起源のスペイン語をみなさんは何か知ってますか?

ぼくは一つだけ。それが今回の表題に置いたことわざ。
スペインで友だちに教わった際に、"Esta expresión es la que empleó NUESTRO Miguel de Cervantes en Don Quijote." と誇らしげに教えてもらったのを覚えています。

やはりスペイン人にとってセルバンテスは特別な存在のようで、スペイン人の友だちの実家に数日お世話になった時に彼のお父さんに「スペイン人なら全員ドン・キホーテの冒頭部分を暗唱できる」と言って、

"En un lugar de la Mancha, de cuyo nombre no quiero acordarme, no ha mucho tiempo que vivía un hidalgo de los de lanza en astillero, adarga antigua, rocín flaco y galgo corredor."

という冒頭の一文を、「けーすけもスペイン語を話すなら覚えた方がいい」ということで復唱に復唱させられ、単語の意味も分からないまま覚えさせられました ;)
ちなみに、息子(友だち)は「そんなの知らない」と言って逃げていきましたが(笑)

今回はそんなセルバンテス起源のことわざについて見ていきます。

 

【意味】

ぼくが教えてもらった形は

Dijo la sartén al cazo: Apártate que me tiznas.

訳してみると、「フライパンが鍋に言った。そこをどけ、お前の煤(すす)で汚れるだろうが。」
フライパンは煤で汚れた鍋に対して汚れるから近づかないように言いますが、かく言うフライパンも煤まみれだという状況。つまり、相手の欠点を指摘している本人も同じ欠点を持っているという意味を示します。どの口が言ってんねん、という意味で「どっちもどっち」「どんぐりの背比べ」「目くそ鼻くそを笑う」のような意味合いです。

f:id:sawata3:20200509162128p:plain

こんな感じ

小学館西和中辞典[第2版]には cazo ではなく、caldera で載っていました。

Dijo la sartén a la caldera: "Quítate allá, culinegra".
《諺》目くそ鼻くそを笑う

ここでの caldera は「ボイラー」ではなく、お湯を沸かす「やかん」のことで、culinegra は "culo + negro" なので「おしりが黒い」すなわち「煤で底が黒くなった」やかんのことを自分のことは棚に上げてバカにしています。
また、cazo から caldera に言っているパターンも見つけました。

Dijo el cazo a la caldera: "Quítate allá, tiznera".
《諺》目くそ鼻くそを笑う

tiznera (tiznero) は動詞 tiznar からも想像が付く通り、「煤が付いた」という形容詞なのでここでは「煤野郎」とかでしょうか。
このように、このことわざには色んなバリエーションがあり、他にも ↓

Le dijo la sartén al cazo: No te acerques que me tiznas.
Dijo la sartén a la caldera: Quítate que me tiznas.

など少しずつ違う形があります。


また、メキシコ人の友だちにこのことわざについて聞いてみると、メキシコでは "El comal le dijo a la olla" という言い方があるそうです。この comal というのはトルティーヤを温める調理器具で、メキシコの台所には欠かせないものです。ぼくのマイコマル ↓

f:id:sawata3:20200511015737j:plain

メキシコらしさ全開の言い方にアレンジされているようですね。


一つ特筆すべき点は、"Dijo la sartén al cazo: Apártate que me tiznas" の他にも様々な形があるようですが、このことわざが会話で使われる時は "Dijo la sartén al cazo" という部分だけが言われることが多いことです。
日本語では「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」や「早起きは三文の徳、長起きは三百の損」のように時の流れとともに一部が省略されたことわざもあるようですが、その過程にいるのでしょうか?
それとも「犬も歩けば何とやら」や「カエルの子は何とやら」といった具合で後半部分をぼやかすあの感覚に似ているんでしょうかね?みなまで言うな的な?
いずれにしろ、"Dijo la sartén al cazo" の部分だけで意味は通じます。

 

【起源】

今回のテーマを調べていて、Enciclopedia Libre Universal en Español というサイトに辿り着きました。言ってしまえば、スペイン語のみのウィキペディア。いや、むしろデザインからしウィキペディアそのものです。(スペイン語以外のページはないのですが。)
このサイトに "Refrán del Quijote" というページがあり、そこに今回のことわざがセルバンテスドン・キホーテ内で出てくる部分が引用されていました。

- No más refranes, Sancho -dijo Don Quijote-, pues cualquiera de los que has dicho basta para dar a entender tu pensamiento; y muchas veces te he aconsejado que no seas tan pródigo de refranes y que te vayas a la mano en decirlos; pero paréceme que es predicar en desierto, y "castígame mi madre y yo trómpogelas". - Paréceme -respondió Sancho- que vuesa merced es como lo que dicen: "Dijo la sartén a la caldera: Quítate allá ojinegra". Estáme reprehendiendo que no diga yo refranes, y ensártalos vuesa merced de dos en dos. - Mira, Sancho- respondió Don Quijote-: yo traigo los refranes a propósito y vienen cuando los digo como anillo en el dedo; pero tráeslos tú tan por los cabellos, que los arrastras y no los guías; y si no me acuerdo mal, otra vez te he dicho que los refranes son sentencias breves, sacadas de la experiencia y especulación de nuestros antiguos sabios; y el refrán que no viene a propósito antes es disparate que sentencia.
(Miguel de Cervantes Saavedra, en El ingenioso hidalgo don Quijote de la Mancha II, Capítulo LXVII)

奮起して日本語に訳してみたので参考にしてください ↓

「ことわざはもううんざりだ、サンチョ。」
ドン・キホーテは言った。
「お前がこれまでに言ったことわざを聞くだけでお前の考えがわしには分かる。それに何度も忠告したはずだぞ、そんなにことわざを多用するなと。しかし、馬の耳に念仏のようなだな。まさに "castígame mi madre y yo trómpogelas" だ。」
すると、サンチョは言い返した。
「貴殿は世間で言うようにまさに『フライパンが鍋に言った、そこをどけ黒尻野郎』でございます。貴殿はわたしにことわざを言うなと咎めますが、そんな貴殿の方こそ二度もことわざを繰り返し言っていますぞ。」
「サンチョよ。」ドン・キホーテも言い返す。
「わしは的を得たことわざを言っており、時宜を得ているのだ。しかし、お前はというとことわざを強引に出しているのだ。それは導いてるのではなく、引きずっているのと同じだ。ことわざとは先代の賢人たちの経験や推量から生み出された短い文である、と何度も言ったはずだ。的を得ないことわざというのはむしろデタラメであるぞ。」

"pero paréceme que es", "Estáme reprehendiendo que", "y ensártalos vuesa merced", "pero tráeslos tú tan" のように昔は目的格人称代名詞が動詞の前ではなく、動詞の後に直接付けられるということや、"que vuesa merced es como" のように usted は元々 vuestra merced から来ている、ということを大学の文学の授業で習いました。好きじゃなかった文学の授業がここで役に立つとは ;p

一応、前者については Diccionario panhispánico de dudas から以下を引用しておきます ↓

接語‹1›は現行の使用法においては活用した動詞の前に位置する: TE LO advierto: ME voy
しかし、書き言葉では活用した動詞に後置されることがある: «Como si adivinara mi pensamiento, díjoME al punto: “La verdad es desnuda”» (RBastos Vigilia [Par. 1992])
この表現をすることで古風な語調を表すことができるが、それは過去の時代の言葉遣いを再現することが目的の場合にのみ正当化される
動詞の後ろへ置く使用法はスペインの北東部の特定の地域に特有の地域的特徴である: VoyME enseguida; MarchoSE hace rato
動詞が否定される場合は接語の後置は許容されない: *No díjoMELO(pronombres personales átonos. 3. Colocación de los clíticos con respecto al verbo. a))

‹1› 接語 (clíticos) ... スペイン語の人称代名詞の中で、主格人称代名詞 (yo, tú, él, etc.) と前置詞格人称代名詞 (mí, ti, él, etc.) のような文中で強く発音されるもの(強勢人称代名詞: pronombres personales tónicos)に対して、me, te , se, lo, la などの目的格代名詞のような文の一部としてはアクセントを持たないもの(無強勢人称代名詞: pronombres personales atónos)を指す。発音上の独立性を欠き、先行または後続する動詞に強勢が置かれる一方で、接語は無強勢となる。

現代では、無強勢人称代名詞は活用した動詞の場合だと DíMELO や VeTE ように命令形にしか後続しませんが、過去には上のドン・キホーテ内のような語順をしていました。具体的な使用年代は不明ですが、このような書き方を見つけたら中世らへんの時代を感じることができるということですね。


さて、本文に出てくる "predicar en desierto" ですが、直訳では「砂漠で説教する」となるこの表現は、調べてみると「馬の耳に念仏」に当たる意味のようです。
そして、その直後に来るおそらく「馬の耳に念仏」と同義の表現  "castígame mi madre y yo trómpogelas" ですが、trómpogelas が分からないので訳せずスペイン語のままで置きました。この部分については DesEquiLIBROS というサイトにこの表現に関する記事があったので、参考にさせてもらいます。

この記事曰く、先に見たドン・キホーテの一部分は後編の62章ですが、その少し前の後編43章でもドン・キホーテがサンチョに "Castígame mi madre y yo trómpogelas" と言っているようで、それこそが「貴殿の方こそ二度もことわざを繰り返し言っていますぞ」というサンチョのドン・キホーテへの反論の真相のようです。

上の引用元に当該部分があったので改めてそこから引用します。

- ¡Eso sí, Sancho! -dijo don Quijote-. ¡Encaja, ensarta, enhila refranes; que nadie te va a la mano! ¡Castígame mi madre y yo trómpogelas!. Estoyte diciendo que excuses refranes y en un instante has echado aquí una letanía dellos, que así cuadran con lo que vamos tratando, como por los cerros de Úbeda. Mira, Sancho, no te digo yo que parece mal un refrán traído a propósito; pero cargar y ensartar refranes a troche y moche, hace la plática desmayada y baja.
(Miguel de Cervantes Saavedra, en El ingenioso hidalgo don Quijote de la Mancha II, Capítulo XLIII)

以下が訳です。

「それを言っているのだ、サンチョよ!」ドン・キホーテは言った。
「ことわざを押し付け、繰り返し、羅列する。誰もそんなお前を止めようとしない!まさしく "Castígame mi madre y yo trómpogelas" だ!ことわざを控えるように言っているのにもかかわらず、お前はすぐに話の本筋から脱線したことわざを羅列しだした。サンチョよ、わしは的を得たことわざが悪いとは言わない。しかし、デタラメにしつこくことわざを繰り返すというのは話の程度を下げるものだぞ。」

さて、DesEquiLIBROS の記事によると、この表現は "Me riñe mi madre, y yo me burlo de ella"「母親に叱られるがそんな母親をからかう」、"me riñe mi madre, y no me importa nada"「母親に叱られるが全く気にしない」という意味になるようです。

問題の trómpogelas に関しては、engañar, burlar を意味する動詞 trompar に、代名詞 se の昔の時代の形である "ge" と、そして同じく代名詞の las が付いたものであると。つまり、現代語に訳すと "Se las burlo"「(母親に怒られようが)それをかわす」となり、やはり「馬の耳に念仏」と同じような意味を表しているということになります。
実際、サンチョはドン・キホーテに何度も叱責に近い忠告を受けているにもかかわらず、取り憑かれたかのようにことわざを多用しており、全く持ってドン・キホーテの言うことを聞いていません。

しかし、忠告をするドン・キホーテもまたことわざをよく使っており、しかも同じことわざを繰り返したことに対して、「誰が言ってんねん!」という反論としてサンチョが "Dijo la sartén a la caldera: Quítate allá ojinegra" と言ったんですね。
それにしても、ことわざ乱発するサンチョ、それをことわざをもって戒めるドン・キホーテ、さらにそれに言い返すためにまたことわざを投じるサンチョ。なんとも滑稽諧謔的な場面で、初めてドン・キホーテという作品を読んでみたいと思いました ;)

 

【まとめ】

● "Dijo la sartén al cazo: Apártate que me tiznas" ということわざはセルバンテスドン・キホーテ内の "Dijo la sartén a la caldera: Quítate allá ojinegra." という形で確認される。

● "Dijo la sartén a la caldera: Quítate allá ojinegra", "Castígame mi madre y yo trómpogelas" はともにセルバンテス自身が考案したものなのか、それとも元々存在していたものを作品内で使ったのかについてはいくら探しても明言している文献はなかった。しかし、文字として記録に残っているものの中ではこのドン・キホーテが最古である可能性が高く、そういう点から「セルバンテスが起源」と言えると考える。


このブログには「スペイン語の Filología・Etimología・Paremiología」という副題があり、三つ目の paremiología は「ことわざ学・ことわざ研究」を意味します。今までもことわざを扱ったことがありましたが、ここまで歴史を辿ったことはなく、なんだか初めて paremiología と呼んでもいいような記事になったかなと(笑)

「誰が言ってんねん!」をシンプルに "¡Mira quién fue a hablar!" と言うのもいいですが、今回のことわざを使って、たまにはサンチョのようにことわざをひけらかすのも一興じゃないでしょうか ;)