イスパニア語ブログ

FILOLOGÍA ESPAÑOLA

"No creo que + (Subj.)" vs "Creo que no + (Indi.)"

スペイン語の文法や表現について質問した時に

  "En español se dice así :) "

という答えはぼくにとってはムシされたのと同じです(笑)
もちろん、この世の万物の事象に理由があるとは思いませんし、"La curiosidad mató al gato (aunque tiene siete vidas jeje)" と言うように、スペイン語に対する好奇心が原因で命を落とすのであればその答えも受け入れますが。。。
可能であれば、ぼくは常に「文法的説明」を追い求めます。なので、スペイン語に先生にとってはヤヤコシイ生徒(だった)かもしれませんが、理由は単純にオモシロイから。それだけです ;)

 

【きっかけ】

スペイン語一年目の授業で接続法を習った際、「〜とは思わない」と言う時は「『Creo que no + 直説法』より『No creo que + 接続法』を使います」と先生が言ってました。理由は「スペイン語ではこういう風に言います」。そういえば、英語も同じ理由で『I don´t think that...』と言う方がいいって習った気が。。。

でも実際ネイティヴの人と話してると、確かに『No creo que + 接続法』の形をよく耳にするけど、『Creo que no + 直説法』の構文も聞かないことはないです。ネイティヴが使うのであれば、その二つの間に存在するニュアンスの違いが気になります。
なので、今回はこの二つの違いは何なのかを調べてみることにします。

 

【考察】

ということで、今回も我らが RAE より Nueva gramática の降臨です。

否定辞 no が主節に現れているにもかかわらず、意味的には従属節の中にあるように機能する構文のことを伝統的に NEGACIÓN ANTICIPADA と呼ぶ
"No creo que asista a la ceremonia" という文において、一見否定辞 no は主節の動詞 creer を否定しているが、話し手は "Creo que no asistirá a la ceremonia" に相応する内容を言い表している
しかしながら、確信の度合いは『Creo que no + 直説法』の形の方が『No creo que + 接続法』よりも大きい(§48.12a)

"Creo que no asistirá a la ceremonia"『主節動詞 (Creo) + que + NO + 従属節動詞・直説法 (asistirá)』という文構造が、"No creo que asista a la ceremonia"『NO + 主節動詞 (creo) + que + 従属節動詞・接続法 (asista)』というように、否定辞 no が従属節の外に出て主節の動詞を否定する現象のことを NEGACIÓN ANTICIPADA と呼ぶそうです。
ネットで調べてみると、言語学的にはこの否定辞の移動のことを、英語では "Negative-raising"、日本語では「否定辞繰り上げ」という風に呼ばれるようです。

"Creo que no 〜" という文構造で否定辞が繰り上がることで "No creo que 〜" という構造になり、否定辞 no は主節動詞の creer に付き、役割としてはこの creer を否定するのですが、実際のところ意味的には従属節中の動詞 asistir を否定している、ということになります。
そして、この二つの違いというのが、話し手の「確信の度合い」の差。

Creo que no + 直説法』>『No creo que + 接続法』

一度、日本語で考えてみましょう。
例えば、"Creo que no eres tonto" と "No creo que seas tonto" という文を否定辞の位置を気にして訳してみると、順番にこうなります ↓

「君はバカではないと思う」
「君はバカであるとは思わない」

どうでしょうか?
"Creo que no eres tonto" にあたる「君はバカではないと思う」の方が、文の構造上「君はバカではない」と一気に言っているので、こちらの方がより直接的であるとは考えられないでしょうか?とすると、日本語でも同じことが起きていることになりますね。

上記の二つの文では「君がバカかどうか」が話し手にとって不確かである点においては、二つの文が言及している内容の本質は同じと捉えることができると思います。
ただ、"Creo que no ..." という文では上で述べた通り、「君はバカではない (no eres tonto)」と部分的ではありますが言い切っており、やはり RAE が言うように(ある程度もしくは強い)確信を持って否定していると思います。

しかし、確信を持って何かを否定するとなると、極端な話、話し手に責任が生まれてしまう場合があります。そこで、本質的に同じ内容に言及しているのであるならば言質を取られないように、極端に表すと「自分は君がバカかバカではないか分からない。分からないが、強いて個人的な意見を述べさせて頂くならば、彼はバカだ」といったニュアンスを "No creo que ..." では表すことができる、ということではないでしょうか?
その確信度合いの低さが接続法を出現させているとも考えられるかなと思います。


また、従属節を伴わない場合に関しても同様のようで、

"¿Han ido a visitarlo?" のような疑問文に対して、"Creo que no" と "No creo" という答え方ができる
しかし、NEGACIÓN ANTICIPADA である "No creo" の形の方が確信の度合いが低い(§48.12b)

この場合も、話し手の確信の度合いは

"Creo que no" > "No creo"

ということですね。
そういえば、昔スペイン人の友だちが「違うんじゃないかな」といったニュアンスで "No creo." と言ったことがありました。ぼくはそれまで "Creo que no." という言い方しか聞いたことがなく、その時に初めて "No creo." と耳にしたので「ああ、そういう言い方もするんだな」と思ったことを覚えています。当時のぼくには "Creo que no." という言い方しか思い浮かばなかったし、そもそも "No Creo." という返事が正しいかどうか疑問にさえ思いました。
今回学んだことを考慮すると、この時その友だちは話していた内容に対して「違う」と思いつつも、そこまで確信の度合いが高くなかったため "No creo." という言い方が出たということだったんですね。


最後に、今回学んだ「否定辞繰り上げ」について、参考までに次の個所を引用します。 

"No es probable que ocurra" と "Es probable que no ocurra" という二つの文は非常に近しい意味を持つが、"No es posible que ocurra" と "Es posible que no ocurra" という文では全く異なる意味を表す(§48.12j)

probable の場合は "No es probable que 〜"「発生することはないかもしれない」と "Es probable que no 〜"「発生しないかもしれない」となり、否定辞の繰り上げが起きても確信の度合いの差はあれどほとんど同じ意味を表します。

一方で、posible の場合は "No es posible que 〜"「発生する可能性はない」と "Es posible que no 〜"「発生しない可能性がある」となり、否定辞が繰り上がることによってその意味が大きく変わっています。

このように、否定辞 no を従属節から引っ張り出しても文が同じ意味を維持しつつ、その確信の度合いのみを大小させる場合もあれば、文全体の意味が大きく異なることもあるようですね。参考になりました。

 

【今回の結論】

● 『Creo que no + 直説法』から『No creo que + 接続法』のように従属節内の否定辞 no が主節へ移動する現象のことを NEGACIÓN ANTICIPADA否定辞繰り上げ」と呼ぶ。

● 『No creo que + 接続法』と『Creo que no + 直説法』の違いは、話し手の言い表す内容の「確信の度合い」の差であり、否定辞繰り上げによってその確信の度合いは低くなる。

→ "Creo que no + Indi.""No creo que + Subj."


英語でもスペイン語でも、先生に "I don´t think that ..." や "No creo que + Subj." といった構造を教えられて、この形を使うように言われてきましたが、スペイン語においては "Creo que no + Indi." という構造は使わないというわけではなく、微小ですがニュアンスが異なって聞こえる、ということが分かりました。

その差異は僅かですが、その僅かな違いを知った上で「そうは思わないかなぁ、違うと思うなぁ」という自信のない返事として "No creo" を使っていくことに意義があるんではないでしょうか?